褒め言葉プリンタ
机の上の小型プリンタへ作品を読み込ませると、持ち主がいちばん聞きたい褒め言葉を一枚だけ印刷した。
ただし印刷するたび、現実で誰かがくれた本当の褒め言葉が一つ、雑音に聞こえるようになる。
若い絵描きは、投稿した作品へ反応が少ない夜に使った。
「色の選び方に、あなたにしかない静けさがあります」
紙を読んだだけで、また描けた。
次の作品には、
「構図が大胆で、目が離せません」
その次には、
「この絵に救われました」
褒め言葉は欲しかった形で届いた。
否定も曖昧さもない。
友人が絵を見て何か言った。
耳には、ざあっという音しか聞こえなかった。
「何?」
聞き返すと、友人は少し困り、
「まあ、また今度」
と笑った。
母の電話でも、恩師の講評でも、時々言葉が雑音になった。
プリンタを使う回数と同じだけ、現実の褒め言葉が届かなくなっていた。
それでも紙は保存できる。
絵描きは壁いっぱいに褒め言葉を貼った。
自信がついたつもりだった。
初個展の日、幼い子どもが一枚の絵の前で立ち止まった。
絵描きへ何かを言う。
耳には激しい雑音しか聞こえない。
母親が通訳した。
「この絵、夜なのに怖くないって言っています」
絵描きが長年描きたかったことだった。
しかし本人の声では受け取れなかった。
帰宅し、プリンタへ最後の絵を読み込ませた。
紙が出てくる。
「あなたは――」
そこでインクが切れた。
いちばん聞きたい言葉すら完成しない。
壁の紙を一枚ずつ剥がした。
完璧な文章は、誰の声でもなかった。
嬉しかったのに、何一つ相手との思い出がない。
絵描きは友人へ会いに行った。
「前に、何て言った?」
友人は首を振った。
「もう一回言うほどのことじゃない」
「それでも聞きたい」
「色が少し濁ってる。でも、前より好きだった」
褒め言葉だけではなかった。
だからこそ、今度は雑音にならず聞こえた。
母にも、恩師にも、聞き直せない言葉がある。
失った分は戻らない。
絵描きはその痛みを、次の作品へ残した。
新しい個展では、感想を書く白紙を置かなかった。
代わりに会場に立ち、来た人の言葉を直接聞いた。
「分からない」
「暗い」
「好き」
「家に飾りたい」
不揃いな声は、望んだ形では届かない。
それでも話した人の顔と一緒に残った。
褒め言葉プリンタは、紙を出さない普通の台として使っている。
その上へ完成した絵を置くと、何も言わず支えてくれる。
今の絵描きには、その程度の肯定がちょうどよかった。