誰もいない家の二個目
メルダが葬送魔術師を辞めたのは、死者の声が聞こえなくなったからだった。
王都では役立たずと呼ばれ、報酬代わりに森外れの空き家を渡された。家には古いパン窯があり、扉を開けるたび、灰の上に小さな手形が現れた。幽霊の仕業だとして村人は近づかない。
メルダは怖がらなかった。死者の声が聞こえないことには、もう慣れていた。
初日にしたのは、窯の灰を全部かき出すことだけだった。
鉄掻きで奥から灰を寄せる。湿った灰、炭の欠片、焦げた木の実。底から、子ども用の小さな木べらが出てきた。柄には「ノノ」と刻まれていた。
灰を外へ運ぶたび、空だった窯床の石が少しずつ姿を現す。最後に濡れ布で拭くと、黒い石が鏡のように鈍く光った。あの小さな手形はもうつかなかった。代わりに、掃除した石へ彼女自身の濡れた指跡が残った。
メルダは木べらを洗い、窯口へ立てかけた。
薪を入れて火をつける。古い煤が焼ける匂いのあとに、乾いた木の香りが戻った。粉へ蜂蜜を一滴だけ混ぜ、丸い生地を二つ作る。一つで足りるはずなのに、手は自然と二つ目を丸めていた。
窯床へ置くと、火が石の奥で鳴った。二つの生地は肩を寄せるように膨らみ、表面へ細い裂け目を作った。
焼き上がりを木べらですくう。一個目を割れば、蜂蜜の甘い湯気が立った。二個目は窯口の皿へ置いておく。
日が沈むと、空き家は静かになった。王都の葬送院では、沈黙は失敗の証だった。ここでは、薪が崩れる音と、自分が息をする音を隠さないための静けさだった。
ふいに、洗った木べらが石床へ倒れた。
からん。
声ではない。それでも「ここにいる」と知らせるには十分だった。
メルダは二個目のパンへ布をかけた。冷えないように。死者の秘密を聞き出せなくてもいい。誰かのために焼いたものを、急かさず残しておける。
彼女が自分のパンをひと口かじったとき、布の下で、ぱり、と薄い皮が割れた。誰の指も見えない。それでも蜂蜜の湯気が二筋になった。
メルダは振り向かず、もうひと口食べた。聞こえなくなった自分の耳ではなく、きれいになった窯と、減り始めた二個目のパンを信じることにした。