負けた方から笑う

野々花と伊吹は、去年まで同じ部活だった。

二人ともバスケットボール部を辞めた。野々花は膝を痛め、伊吹は顧問と喧嘩した。辞めた理由が違うせいで、相手の方が楽に逃げたように思え、半年まともに話していなかった。体育館ですれ違う時も、昔決めたハンドサインだけが行き場をなくして残っていた。

体育祭の綱引きで、二人は敵同士になった。

赤組の最後尾に野々花、白組の最後尾に伊吹。前日の雨で綱は湿り、足元は柔らかい。

「絶対負けない」

開始前、伊吹が向こうから言った。

「負けた方が先に笑う」

野々花は昔の約束を返した。練習試合で空気が悪くなると、二人はそう決めていた。負けた方が変な顔で笑い、反省はそのあとにする。

笛が鳴る。

綱が掌を焼いた。野々花は痛めた膝をかばいながら腰を落とす。伊吹も歯を食いしばり、泥へ踵を埋める。二人とも、試合終了間際の一点を守る時と同じ顔をしていた。声を掛け合わなくても、相手が次に力を入れる瞬間だけは分かった。

中央の赤い印が、白へ動く。戻る。また白へ。

最後の一引きで、野々花の足が滑った。

尻もちをつき、後ろの水たまりへ倒れる。赤組の列が崩れ、白い旗が上がった。

歓声の中、伊吹は勝った側なのに綱を放り出し、こちらへ走ってきた。泥の縁で止まり、手を差し出す。

野々花はその顔を見て、約束を思い出した。

負けた方から笑う。

泥の中で、思いきり変な顔をした。伊吹も耐えきれず吹き出した。二人の間に残っていた半年分の沈黙が、その笑いで一度に崩れた。

野々花は差し出された手を取らず、下から掌を叩いた。泥が伊吹の頬まで飛んだ。

「きたなっ」

「勝った方は文句言わない」

「そんな約束ない」

伊吹は結局、水たまりへ踏み込み、野々花を引き起こした。二人の体操服は同じ色に汚れ、赤と白の鉢巻きだけが違っていた。

その日の帰り、二人は体育館の前で立ち止まった。

「見学だけ、行ってみる?」

どちらからともなく言った。

入部届を出し直すかは、まだ決めなかった。

ただ、負けた方から笑う約束だけは、半年ぶりに二人のものへ戻った。