赤い封印の点検票

 月面港の出発デッキで、船外作業主任の母・礼良が点検票を差し出した。

「全部緑なら、承認を押して」

 凪人は酸素系統の欄を見つめた。

 前の人生でも表示はすべて緑だった。新人管制官の凪人は規則どおり承認し、母を外へ送り出した。七分後、供給管が破裂。礼良の宇宙服は真空の中で沈黙した。

 事故調査で分かったのは、警告灯に貼られた薄い色補正膜だった。納期を守るため、整備会社が異常を隠したのだ。赤い表示が、管制室からは緑に見える。証拠を見つけた時には、母の遺骨さえ地球へ戻せなかった。

 二十年後、重力炉の事故に巻き込まれた凪人は、なぜか出発七分前へ戻った。手には母の死亡報告書ではなく、まだ承認されていない点検票がある。宇宙全部を変える必要はない。この印を一つ、押さなければいい。

「全部緑なら、承認を押して」

「押さない。これは赤だ」

 以前とは違う返事をし、凪人は点検票へ拒否印を打った。

「どう見ても緑でしょう」

「照明を落として」

 デッキの白色灯を消す。非常灯だけになると、酸素系統の表示が深い赤へ変わった。表示板の表面から、透明な膜が浮かび上がる。

 礼良はすぐヘルメットを外し、技術班を呼んだ。整備会社の責任者は出発強行を求めたが、凪人は拒否印の上へ自分の職員証を置いた。

「処分は後で受けます。今は試験を」

 無人服へ接続して圧力を上げる。出発予定時刻から七分後、供給管が爆ぜ、空の宇宙服が床へ倒れた。

 破裂音の後、礼良は空の宇宙服を見つめ、無意識に息子の肩へ手を置いた。その重みで、凪人は母が本当にこちら側へ残ったと知る。

 管制画面が切り替わる。

《船外活動を延期》

《系統異常を事前検出》

《人的被害:0》

 前の人生で母の生命反応が消えた場所には、青い待機表示が灯っている。

 礼良は凪人の額を小突いた。

「新人のくせに、よく見抜いたわね」

「二十年、見落とした色を見てきたから」

「変な子。帰ったら地球休暇を申請しよう。海、本物を見たことないでしょう」

 前の人生にはなかった休暇予定が、点検票の一番下へ新しく追加された。