返事をする鈴
父の自転車には、銀色の小さな鈴が付いていた。
父が亡くなり、息子は自転車を処分することにした。
古く、錆び、乗るには修理代がかかりすぎる。
粗大ごみの申込書を書きながら、息子は鈴へ冗談で尋ねた。
「父さん、これ捨てていい?」
鈴が一度、ちりんと鳴った。
窓は閉まり、風もない。
驚いた息子は、もう一度尋ねた。
「一回なら、はい?」
鈴は鳴らない。
「捨てていい?」
ちりん。
鈴は、答えが「はい」の質問にだけ一度鳴った。
息子は夜中まで質問した。
「父さんは、僕が家を出たことを怒ってた?」
鳴らない。
「寂しかった?」
ちりん。
「それで僕を嫌いになった?」
鳴らない。
「最後に来てほしかった?」
ちりん。
病院へ間に合わなかったことが、胸の奥で痛んだ。
息子は仕事を理由に見舞いを延ばし、父は「忙しいなら来るな」と言った。
その言葉を、そのまま受け取った。
「僕のこと、好きだった?」
息子は聞いた。
鈴は鳴らなかった。
息が止まりそうになった。
もう一度、言い方を変えた。
「父さんは、僕を愛してた?」
鳴らない。
腹が立ち、自転車を蹴った。
鈴が大きく揺れたが、音は出ない。
翌朝、近所の少年が自転車を見に来た。
父によく空気入れを借りていた子だ。
「おじさん、この自転車で僕を何回も送ってくれた」
息子は知らなかった。
父は近所の買い物や、子どもの送迎に使っていたらしい。
少年が鈴へ尋ねた。
「おじさん、この自転車好きだった?」
ちりん。
「息子さんが帰ってくるの、待ってた?」
ちりん。
息子は、質問の仕方を間違えていたと気づいた。
父に愛があったかを、父自身の言葉で証明させようとしていた。
「父さん、僕に愛されてるって分かってた?」
鈴は一度鳴った。
息子はその場にしゃがみ込んだ。
父へ伝えられなかったと思っていたことが、全部届いていなかったわけではないらしい。
自転車は処分しなかった。
修理して、近所の共同自転車として置くことにした。
少年が最初に乗り、坂を下りながら鈴を鳴らした。
今度の音は、質問の答えではなく、ただ人へ道を知らせる音だった。
銀色の鈴は、それ以来どんな質問にも返事をしない。
息子は時々、答えが欲しいことを口にする。
返事がなくても、聞こえない相手へ伝えること自体に意味があると分かったからだ。