退屈だった日の全部
飯豊智雅が二か月ぶりに登校した朝、机の上に分厚いノートが置かれていた。
表紙には『二年一組交換日記』。
智雅が休み始めた次の日から、クラス全員が一日一頁ずつ書いたらしい。
最初の頁を開く。
――数学の先生がチョークを三本折った。
――給食のゼリーが余った。
――体育館の時計が五分進んでいる。
次の頁。
――廊下で誰かが牛乳をこぼした。
――席替えをした。智雅の席は動かしていない。
――委員長が朝の号令を噛んだ。
病室で読んだなら、きっと退屈だと思っただろう。試合に勝ったとか、文化祭で賞を取ったとか、もっと大きな出来事を書けばいいのに。
けれど頁をめくるほど、智雅の胸は妙に苦しくなった。
――窓を開けたらプリントが全部飛んだ。
――黒板の右端だけ消えにくい。
――今日も智雅の机にプリントを入れた。
自分がいない教室が、きちんと一日ずつ進んでいた。
最後の頁は、昨日の日付だった。
――明日、智雅が来るらしい。
――たぶん、みんな普通にする。
――普通にできなかったらごめん。
朝の会が始まる。
担任は「久しぶり」とだけ言い、特別な話をしなかった。前の席からプリントが回り、後ろから消しゴムが転がってきた。
休み時間、何人も話しかけようとして、結局「ノート読んだ?」と同じ質問をした。
智雅は「読んだ」と答えた。
本当はまだ半分だった。
昼休み、窓際で続きを読む。
ある頁に、智雅とほとんど話したことのない生徒の字があった。
――今日、特に何もなかった。
――何もない日は書くことがない。
――でも智雅が戻ったら、こういう日もあったと教えるために書く。
智雅はその一文を三度読んだ。
自分が欲しかったのは励ましではなかった。病院の白い天井の外で、授業が眠く、パンが売り切れ、誰かが掃除をさぼったという証拠だった。
放課後、担任が新しい頁を開いた。
「今日はお前の番だ」
智雅は鉛筆を持った。
何を書けばいいかわからない。復帰初日。みんなが気を遣った。階段で息が切れた。久しぶりの教室は少し狭かった。
迷った末に書いた。
――今日、特に何もなかった。
――朝、席があった。
――昼、ノートを読んだ。
――明日も来る。
後ろから誰かが覗き込み、「四行もあるじゃん」と言った。
笑い声が起きる。
智雅は頁の下へ一行足した。
――みんな、普通にするのが下手だった。
その日の交換日記は、初めて本人の机から始まり、教室を一周して戻ってきた。
最後の余白には、二十九人分の小さな丸が並んでいた。