退職届を受理しない

茶色い封筒が、作画机の上に置かれた。

「責任を取ります。受理してください」

作画監督の三田村が頭を下げる。アニメ制作会社《燈彩堂》代表の百瀬環は、前の人生と同じ封筒の折れ目を見つめた。

一度目、放送直前の一話が納期に間に合わず、制作プロデューサーの滝口は三田村の管理不足だと報告した。環は退職届を受理。すると中核アニメーター十二人が続けて辞め、放送契約は解除された。滝口は外注費を水増しして別会社へ移り、燈彩堂は違約金で破綻した。

会社の看板を外した夜、環はこの朝へ戻った。

机の周囲には、描きかけの原画が積まれている。前回は「一人の退職で収まるなら」と思った。だが不正をした者を残し、責任感のある者を切れば、会社は静かになるのではない。中身から空になる。

三田村が同じ言葉を繰り返す。

「責任を取ります」

前回の環は「分かりました」と封筒を受け取った。

今度は、押し返した。

「受理しません。あなたの責任ではないから」

滝口が横から口を挟む。

「代表、感情でかばえば現場が崩れます」

「もう崩している人が言う台詞ではないわ」

環は大型画面へ制作管理ログを表示した。三田村が完成させたカットは、締切二日前に百八十枚。だが滝口の権限で「未着手」へ戻され、関連会社へ再発注されている。請求額は通常の四倍だった。

「システムの不具合です」

「なら、あなたの個人口座へ外注先から振り込まれた紹介料も不具合?」

環は監査資料を机へ置いた。滝口の顔から色が消える。

三田村の退職届は封を切らず、本人へ返した。代わりに滝口の権限を停止し、完成データを放送局へ直接送る。

午前十一時。前の人生では、放送局から契約解除の通知が届いた時刻。

メールの件名を見て、三田村が息を止めた。

《第六話納品確認――放送予定を維持します》

さらに本文の末尾には、二週間の制作猶予が認められたとある。

三田村は茶色い封筒をゆっくり鞄へしまった。

「社長。……残って、次の話も描いていいですか」

前の人生で最後まで聞けなかった言葉に、環は頷いた。

スタジオの奥で、止まっていた鉛筆の音が一斉に戻った。