針が布の中にいる間

夫の古いコートを捨てられず、私は毎年、冬の前に傷んだ場所を繕った。

夫は三年前に亡くなった。袖口は擦れ、裏地は裂け、もう誰も着ない。それでも針を入れると、まだ帰宅を待っている気分になれた。

その年、脇の縫い目へ針を刺した瞬間、壁の時計も、窓を打つ雨も止まった。

針が布の中にいるあいだ、私だけが動けた。

最初は老眼のせいだと思った。

針を抜けば雨が落ち、また刺せば止まる。

静けさの中で裏地を広げると、見覚えのない縫い跡がいくつもあった。表からは見えない場所に、色の違う糸で短い線が並んでいる。

赤が五本、青が七本、黄色が三本。

私は裁縫箱を開けた。同じ糸巻きが残っていた。赤は娘が熱を出した夜、青は私が店を始めた年、黄色は孫が生まれた頃に買ったものだ。

夫は針仕事などできない人だった。

ボタンを付ければ裏まで縫い合わせ、雑巾を頼めば指を刺した。

それでもよく見ると、裏地の小さな裂け目は、全部不器用に閉じられている。私が忙しくて気づかなかった傷を、夫が夜ごと直したのだろう。糸の本数は、たぶん家族に何かあった日の数だった。

最後に白い糸が一本あった。

夫が入院した冬、私が病室へ持っていった裁縫箱の色だ。

その縫い目の内側から、小さく折った紙が出てきた。

「直せないところは、残しておく」

それだけだった。

何を指した言葉か分からない。コートか、病気か、喧嘩ばかりした私たちのことか。

説明の代わりに、歪んだ針穴が続いていた。

私は針を抜いた。

雨が窓を流れ、時計が一秒進んだ。

裂け目を完全には閉じず、白い糸の隣へ緑の糸を一本だけ足した。

孫が初めて私の店を手伝った日の色だった。

翌日、娘がコートを捨てようと言った。

私は初めて首を振らず、「じゃあ、裏地だけ取っておこう」と答えた。

表の布は傷みすぎていた。残すことと、手放さないことは同じではない。

切り取った裏地を額へ入れ、店の壁に掛けた。

客には抽象的な刺繍だと言っている。

針が布の中にいる時間だけ止まった世界は、今では動き続ける店の中で、家族の季節を静かに数えている。