雑種犬の予約名
海石榴彩路は、雨で泥だらけになった犬を連れて高級ペットサロンへ入った。
犬は河川敷で保護したばかりで、首輪もない。彩路のレインコートも裾まで汚れていた。
受付責任者の芦屋原叶緒は、犬種を聞く前に扉を開けた。
「当店は血統書付きのお客様専用です。保護犬の洗浄なら動物病院へ」
「予約名は海石榴です」
「その名前で登録はありません。冷やかしは困ります」
若いトリマーだけが犬へタオルを掛け、足裏に小さな傷があると気づいた。芦屋原は「無料対応を覚えさせるな」と叱ったが、トリマーは応急処置を続けた。
彩路は料金を払うと言い、トリマーの名前を聞いて帰った。
翌朝、サロンを運営するペットケアグループの事業方針発表会が開かれた。新オーナーが、全国店舗の保護動物支援制度を発表する予定だった。
壇上へ上がったのは彩路だった。
海石榴家は、動物病院、フード会社、サロンを所有するグループの創業家。彩路は現社長であり、この店舗の建物オーナーでもある。前日は河川敷の保護施設を視察中に犬を見つけ、店舗の緊急対応を確認するため、そのまま来店したのだ。
芦屋原は弁明した。
「高級ブランドの衛生と顧客層を守るためです」
彩路は運営規定を映した。犬種による入店制限は存在しない。むしろ災害時と保護直後の動物を優先することが、創業時からの方針だった。
監査では、芦屋原が保護団体へ寄付するシャンプーをVIP客向け商品として販売し、売上へ計上していたことも判明した。
彩路は若いトリマーへ、全国保護ケア部門の研修責任者候補を提示した。
「最初に見たのが泥ではなく傷だった人に、制度を作ってほしい」
芦屋原の受付権限が止まり、店舗責任者章が外された。
保護犬には〈海石榴・仮名こむぎ〉として正式な予約が登録される。診察、洗浄、里親募集まで無料支援の対象になった。
予約画面に“犬種不問”の表示が追加され、若いトリマーがこむぎを温かい湯へ入れた瞬間、雑種犬を追い返した責任者だけが、自分の店だと思っていた場所から除外された。