雨に濡れる絵葉書

古い裁縫箱から、港町の絵葉書が出てきた。

裏には宛名も文章もない。

表には、赤い鞄を持つ少女が船着場に立っている。

祖母にそっくりだった。

孫が絵葉書を窓辺へ置いた夜、吹き込んだ雨が切手の位置を濡らした。

絵の少女が話した。

「切手、貼らなかったのね」

少女は、切手の場所が濡れている間だけ話した。

祖母は十五歳で故郷を離れ、親戚の家へ奉公に出たと聞いていた。

家族のために進んで働いた、強い人だと皆が語った。

「どこへ送るつもりだったの」

孫が聞くと、少女は赤い鞄を握った。

「自分へ」

「絵葉書を?」

「未来の住所が分かったら」

少女は奉公へ行きたくなかった。

船へ乗る直前、逃げようと考えた。

けれど戻れば、妹が代わりに行かされる。

強かったからではなく、妹を置いて逃げきれなかったから船へ乗った。

「後悔した?」

「毎日」

「それでも幸せだった?」

「毎日じゃない」

祖母の人生を、苦労の末に幸せになった物語として聞いてきた孫は戸惑った。

少女は言った。

「幸せって、昔のつらさを正しかったことにしないよ」

雨が乾き、声が消えた。

孫は祖母の介護を始めたばかりだった。

家族から「恩返しだね」と言われるたび、重い言葉だと思っていた。

祖母を大切にしたい。

同時に、仕事を減らし、自由を失うのが嫌だった。

その二つを一緒に持つことを、薄情だと思っていた。

翌日、絵葉書の切手の位置へ水を一滴落とした。

「私、介護が嫌な日もある」

少女は答えた。

「私も、船を降りたかった日がある」

「言っていいのかな」

「言わないと、誰かが代わりに苦しくなる」

孫は家族会議を開いた。

一人で背負わず、訪問サービスを使い、親族で日を分けた。

祖母にも正直に話した。

祖母は記憶が曖昧だったが、

「逃げてもいい日を作りなさい」

と言った。

絵葉書は額へ入れず、裁縫箱へ戻した。

裏面に、現在の住所を書いた。

切手は貼らない。

未来の自分がどこへ住むか、まだ決めなくてよかった。

赤い鞄の少女が持てなかった選択肢を、孫は今日の暮らしへ少しずつ増やしていった。