雨のままの靴
白石美琴が帰宅したとき、白いスニーカーは灰色になっていた。
駅から家までの十分で雨脚が強まり、歩道の泥が跳ねた。つま先には黒い点が散り、側面の布は水を吸っている。
美琴は玄関に鞄を置くより先に、靴用ブラシを出した。
白い靴は、その日のうちに洗う。汚れは時間がたつほど落ちにくくなる。紐を外し、中敷きを抜き、洗剤を泡立てて、左右同じ白さになるまでこする。明日履かない日でも、それが決まりだった。
時計は二十三時十八分。夕食はまだだった。
洗面所へ靴を運び、蛇口をひねる。冷たい水が指へかかる。片方のつま先をこすると、泥は薄くなったが、完全には消えない。美琴は洗剤を足した。
昼間、後輩に「いつもきれいですね」と言われたことを思い出す。服も机も靴も、乱れているところを見せないようにしてきた。その言葉を褒め言葉として守るため、疲れた夜にも手を止められなかった。
もう片方へ移る前に、腹が小さく鳴った。
美琴はブラシを持ったまま、浴室の鏡に映る自分を見た。前髪は雨で額に貼りつき、コートの裾から水が落ちている。靴だけを白く戻しても、今日がきれいに終わるわけではない。
彼女は蛇口を閉めた。
中途半端に洗った右足と、泥の残る左足を玄関へ戻す。丸めた新聞紙を中へ入れ、タオルの上に置いた。紐は外さない。洗剤の泡も、つま先に少し残ったままだった。
美琴は先に濡れた服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びた。
台所で冷凍ご飯を温め、卵を落とした。食べているあいだも、玄関の靴が気になった。今から洗えば間に合う、と何度も思う。
それでも立たなかった。
食後、美琴は玄関の照明を消した。暗くなれば、左右の白さの違いは見えない。見えなくしたことを、ずるいとも思った。
翌朝に汚れが残っているかもしれない。落ちなければ、それまでだ。
ブラシは洗面所に伏せたままだった。美琴は洗いかけの靴を雨の夜に置いたまま、裸足で寝室へ戻った。足の裏には、乾いた床の温度だけが触れていた。