雨樋が集めた午後

 磯部遥香は、都市開発会社で排水計画を担当していた。

 何十年に一度の大雨を想定し、水の行き先を図面へ描く。安全を守る仕事だったが、会議のたびに数字は大きくなり、遥香の胸には小さな雨まで怖くなる癖が残った。

 谷あいの村で借りた古民家は、雨樋が途中で割れていた。

 雨が降ると、軒先から滝のように水が落ち、庭の畑を掘った。

 遥香は大きな排水管を引こうとしたが、近所の大工は古い酒樽を二つ持ってきた。

「まず受けて、晴れた日に使えばいい」

「容量が足りません」

「足りない雨は、土へ行く」

 二人で雨樋をつなぎ、樽へ流れるよう角度を調整した。

 遥香は水量を計算し、目盛りをつけた。大工はその横に、蛙の絵を描いた。

「何の単位ですか」

「ここまでたまったら、畑が喜ぶ」

 梅雨の午後、最初の雨が来た。

 樋を流れる水は思ったより速く、樽の底を丸く叩いた。遥香は何度も外へ出て、水位を確認した。

 やがて樽は八分目になり、残りの水はあふれ口から小さな溝へ流れた。畑を壊すことなく、石の間を抜けていく。

 大工の蛙は水面のすぐ下で揺れていた。

 雨が上がると、庭の匂いが変わった。

 濡れた土、青いトマトの葉、古い杉板。遥香は樽の水を柄杓ですくい、苗の根元へ静かに注いだ。

 さっきまで警戒していた雨が、掌の中では冷たく穏やかだった。

 夏、樽の水で育ったトマトが赤くなった。

 近所の人を呼び、縁側で塩を振って食べる。皮がぱちりと裂け、酸味のあとに甘さが来た。

「雨の味ですね」

 遥香が言うと、大工は首を振る。

「晴れの日も入ってる」

 遥香は笑い、二つ目へ手を伸ばした。

 都会では水を早く遠くへ流すことばかり考えていた。ここでは一度受け、少しため、必要な場所へ返す。

 自分の疲れも同じかもしれない。あふれる前に、器へ置けばよかったのだ。

 夕立のあと、古民家の軒から最後の一滴が樽へ落ちた。

 台所ではトマトと卵のスープが温まり、青い葉と胡椒の香りが漂う。

 遥香は蛙の目盛りまで残った水を眺め、明日の朝、茄子へやる分を考えた。雨はもう、すべてを急いで逃がすものではなかった。