雨粒のテンポ

折原実緒が最初のコードを鳴らしたとき、屋上のトタン屋根に雨が落ち始めた。

「テンポ百二十」と鶴見昴。

「雨に合わせるの?」と駒井瑛人。

「最後だし、自然とセッション」

三人は大学の屋上で昼休みに演奏するアコースティックバンドだった。許可は一度も取らなかった。卒業式前日の今日、守衛が来るまでの十分間が最後の練習になる。

実緒は四月から北海道の研究所で魚の生態を調べる。昴は小劇場の大道具会社。瑛人は地元に残り、宅配の仕事をしながら週末だけ路上で歌う。

「瑛人だけ続けるんだ」と実緒。

「一人なら解散しなくていいから」

「それ、強いのか寂しいのか分からない」

「両方」

昴はカホンの上に座り、濡れ始めた空を見た。

「俺は音楽やめるよ。舞台裏で音が聞こえたら十分」

「本当に?」

「本当って言ったほうが、就職祝いっぽいだろ」

実緒も、研究所へギターを持っていかない。寮の規則を理由にしたが、ケースを開くたび三人を思い出すのが怖かった。

雨脚が強くなる。三人は屋根の下へ寄り、肩が触れるほど近くなった。最後の曲は、晴れた昼休みのために作った明るい曲だった。

雨音がカホンを隠し、濡れた弦が指に貼りつく。瑛人の声は風に流され、実緒のコーラスは一拍遅れた。それでも昴は「百二十」と数え続けた。

曲の途中、守衛が屋上の扉を開けた。

「今日で最後です!」と瑛人が叫ぶ。

「毎回そう言うな!」

三人は笑い、最後のサビだけ速くした。守衛も追い出すのを諦めたように扉の陰で聞いていたが、拍手はしなかった。その無愛想さが、四年間でいちばん彼ららしい客だった。雨粒も追いつくように屋根を叩いた。

片づけると、瑛人は投げ銭用の紙コップを手に取った。中には十円玉が一枚。誰が入れたのか分からない。

「分けられないね」

「瑛人が持って。続ける人の取り分」

実緒と昴は先に階段を下りた。瑛人は紙コップを置き直し、十円玉だけを屋上の排水口のそばへ転がした。

扉が閉まったあとも、雨粒は三人の曲と同じ速さで屋根を叩き続けた。紙コップだけが、もう誰も歌わない場所でアンコールを待っていた。