雲の下の座標

保険会社向けの洪水予測サービスが大型受注を決めると、杵島敬人部長は記者会見で自信たっぷりに言った。

「衛星画像から浸水域を読む独自手法は、私が構想しました」

葛西志弦は会場の端で、デモ用の地図を監視していた。解析モデルを書いたのも、地方河川の水位計を一台ずつ結びつけたのも志弦だ。杵島は完成するまで「雲で地面が見えない衛星など役に立たない」と相手にしなかった。

発注元の犬飼玲央リスク統括が、地図上の白い領域を指した。

「杵島さん。ここだけ画像が欠けています。なぜ補完しないのですか」

「観測時の偶発的なノイズです。製品版では消します」

志弦は思わず顔を上げた。消してはいけない領域だった。

犬飼が彼を指名した。

「葛西さんの説明を聞かせてください」

志弦は、白い部分は欠測ではなく厚い積乱雲の位置だと答えた。地表を見られないこと自体が危険情報になる。雲の移動速度、気象レーダー、上流の水位を重ねれば、衛星が次に地表を捉える二十分前に氾濫方向を推定できる。去年の台風では、その白い領域から避難勧告を三十分早めた。

杵島が割り込んだ。

「そういう実装も、私の統括方針の一部です」

犬飼は会見用スクリーンへ社内チャットを表示した。杵島の投稿が読める。

《白抜けは見栄えが悪い。適当な色で埋めろ》

その下に、志弦が補完を拒み、予測精度の検証を続けた記録が並んでいた。

「弊社が救われたのは、葛西さんが見えないものを消さなかったからです。杵島さんの見栄えに保険料を払うつもりはありません」

犬飼は五年契約の条件を読み上げた。全国災害予測責任者を葛西志弦とし、解析判断への杵島の介入を禁ずる。違反時は即時解除。契約額は会社の年間売上を一割押し上げる規模だった。

社長は記者の前で志弦を壇上へ呼び、責任者章を渡した。

志弦が受注画面を確定すると、地図の白い領域から赤い避難経路が伸びた。同時にプロジェクトの責任者欄から、杵島の名前だけが跡形もなく補完不能になった。