雲肥料と青い寝台
リュシアンの家は、空に浮かぶ小さな農園の端にある。
雲をすくう帆が朝露を集め、石臼へ送る。そこへ風化した竜骨粉、雷豆の灰、空藻の汁が自動で加わり、軽い雲肥料になる。袋は羽根を生やして各浮島へ飛び、代金だけが帰ってくる。天候に合わせて配合を変えるのは、屋根の気圧竪琴だ。
リュシアンは竪琴を弾かない。風が勝手に弦を鳴らす。
以前は大浮遊農園の気象班にいた。青灰色の制服は安全帯に擦れて腰が白く、袖には落雷で焦げた丸い跡がある。嵐が来るたび塔へ登り、三日眠らず風向きを記録した。退職後も腕輪には『雷雲接近』『全員配置』の未読警報が残っていた。
昼、肥料袋を運ぶ羽音のあとで竪琴が和音を鳴らした。
《浮島四島へ納品。今月の配合権料を送金しました》
金貨の山ではない。だが空の家賃と食料、寝台の布を新しくするには足りる。リュシアンは働かないために仕組みを作った。その成果を、怠惰とは呼ばなかった。
腕輪が赤く光った。元班長からである。
『東の防風塔が故障した。お前なら雲の癖を読める。今すぐ本島へ来い』
「行きません」
『畑が流されるぞ』
「予備塔を削った判断は、私の退職後です」
『仲間が空で踏ん張っている』
「仲間を踏ん張らせ続ける仕組みに、戻るつもりはありません。肥料の配送は止まりません」
通信を切ると、ちょうど雨雲が家の下を通り、青い影を落とした。
大農園では、嵐の予報が出るたび全員が徹夜した。実際に嵐が逸れても休みは戻らず、次の作業が詰め込まれた。リュシアンは気圧竪琴へ、危険なら生産を止める仕組みを組み込んだ。袋の羽根も強風では開かず、晴れるまで納屋で眠る。最初は配達先から苦情が来たが、落下事故が一度も起きないと分かると、誰も急かさなくなった。安全とは、勇敢に飛ぶことではなく、飛ばない判断が自動で守られることだった。
リュシアンは腕輪を箱へしまい、空色の寝台を窓辺へ引き出した。雲肥料の袋が働きに飛んでいくのを一度だけ見送り、風に揺られながら昼寝を始めた。