「温めますか」の答え

橘川葵は、深夜のコンビニで夕食を選ぶとき、先にカロリーを見る。

残業が長い日ほど、数字の小さいサラダと冷たい豆腐を買った。温かいパスタを食べたいと思っても、その気持ちはアプリへ入力する前に消した。食事くらい管理できなければ、何も整えられない気がした。健康管理アプリは、目標内に収まるたび花丸を出す。葵はその小さな称賛を、誰かに仕事を褒められるより確かなものとして集めていた。空腹で眠れない夜も、数字が緑なら失敗ではないと思えた。大学時代に体重を指摘されてから、葵は食べたいという感覚を信用しなくなった。疲れている日は食欲さえ判断ミスに見えた。温かいものを選ぶと、自制を失った証拠のようで怖い。だから冷たい夕食を食べながら、明日は整えられると毎晩約束した。

午前一時、レジにいた羽鳥佳乃は、葵がサラダを二つ戻すのを黙って見ていた。四十九歳。名札の横に、研修中ではなく「夜が得意です」と手書きの紙を貼っている。

会計で佳乃が「温めますか」と訊いた。葵は冷たいスープを見下ろし、「これは大丈夫です」と答えた。

「温めるものって、食べ物だけですかね」

「え?」

佳乃はレシートを渡しながら、葵の青白い指先を見た。

「次に『温めますか』って訊かれたら、数字を見る前に答えてみてください。口が先、画面はあと」

「店員さんがそんな宿題を出すんですか」

「夜だけです」

佳乃は次の客へ「いらっしゃいませ」と言い、話を終えた。

翌晩も、葵は同じ店へ入った。冷蔵棚の前でサラダを取る。隣に、明太子のクリームパスタが並んでいる。容器の端には、いつもの数字が黒く印刷されていた。

スマートフォンで記録アプリを開き、検索欄へ商品名を入れかける。店内の空調が手首へ冷たく当たった。

葵はパスタを籠へ入れ、レジへ向かう。佳乃ではなく、若い店員だった。

「温めますか」

画面にはまだ数字が出ていない。

葵は親指でアプリを閉じた。

「お願いします」

店員が容器を電子レンジへ入れる。扉が閉まり、オレンジ色の灯りが回り始めた。