こんにゃくの隠し包丁
倉橋直人は、明日から職業訓練校の就職相談員になる。これまでは人材紹介会社で、求人を企業へ売る営業をしていた。
面接では「求職者に寄り添う仕事がしたい」と話した。だが直人自身、半年前に会社の業績悪化で契約を打ち切られ、三か月仕事が決まらなかった。応募書類には退職理由を「組織再編」と書いた。間違いではないが、捨てられたように感じたことまでは書いていない。
失業中、直人は昼間の公園で時間を潰し、夕方になると会社帰りの人に紛れて電車へ乗った。家族には毎日面接があるように装った。その記憶を利用者へ語れば共感を得られるのか、それとも自分の傷を見せたいだけなのか、判断がつかない。
人の就職相談を受ける資格があるのか。明日配られる面談マニュアルを完璧に覚えれば、不安を隠せる気がして、直人は数十ページを暗記しようとしていた。
居酒屋「結び目」の店主は、こんにゃくへ細かく切れ目を入れ、辛味噌で炒めた。鉄板の上で水分が弾け、ぷつぷつと乾いた音がする。焼けた味噌と唐辛子の匂いが鼻を刺激し、湯気の向こうで切れ目に赤い色が入り込んだ。
「表面だけでも味はつきますよね」
「滑るからな。切っといた」
店主は皿を置いた。
直人はマニュアルの最初にある質問を見た。『現在のお困りごとは何ですか』。正しいが、答えにくい質問でもある。自分が求職中だったとき、困りごとは仕事がないことではなく、朝起きても行く場所がないことだった。それを相談員には言えなかった。
明日の最初の面談で、マニュアルを閉じる勇気はない。けれど質問を一つ足すことにした。
『仕事以外で、今いちばん崩したくないものは何ですか』
家賃かもしれない。生活時間かもしれない。自尊心かもしれない。相手が答えなければ、それ以上聞かない。
直人が良い相談員になれるかは分からない。自分の失業を必要以上に語れば、相手の時間を奪う。それでも、傷がないふりをして台本だけ読むのはやめる。
こんにゃくを噛むと、弾力のある表面から辛味噌がにじんだ。切れ目の奥に残った熱が、遅れて舌を少し痺れさせた。