ぬいぐるみ一人分
限定ぬいぐるみ発売日の玩具店で、黒松谷叶路は、鮫島野宗吾がベビーカーを五台並べているのを見た。
どれも空だった。貸出所の規約では、館内で乳幼児を乗せる目的に限られており、宗吾は五台分の身分証を一枚で借りていた。通路を塞いだため、ほかの親子が遠回りさせられていた。
「子ども五人分。今、妻が連れてくる」
宗吾は一台につき二個、計十個を確保するつもりだった。後ろの親子が最後尾を尋ねると、空のベビーカーを指して「ここまで埋まってる」と追い返す。
店員が本人不在の場所取りは無効だと説明した。
宗吾は怒鳴る。
「子育て家庭を差別するのか」
叶路は、店のキッズイベント担当として列を見守っていた。空のベビーカーには、同じレンタル会社の管理タグがついている。宗吾は近くの貸出所から借り、場所取り道具にしていた。
さらにスマートフォンには、十個確保済みとして予約販売する画面。写真には店の開店前在庫が使われていた。
店長は購入整理券を配る。子ども本人がいなくても保護者一人につき一個は買えるが、台数や架空の家族で上限は増えない。宗吾の権利は一個分だけだった。
「なら一個買って、残りは仲間が買う」
仲間として現れた人々は、宗吾から日当を約束された代理購入者だった。全員の購入資金は同じ電子財布から送られ、受取後に商品を宗吾へ渡すチャットも残っている。
店は規約に基づき、宗吾と代理人への販売を拒否した。通販サイトは在庫なしの予約販売を取り消し、前金を返金。レンタル会社も、用途外利用と通路妨害でベビーカーを回収した。
宗吾は、需要があるなら増産すればいいと捨て台詞を吐いた。
店長は笑顔で発表する。
「ご要望に応え、受注生産を本日から受け付けます。希望者全員へ定価で届けます」
限定品の希少価値は消えた。叶路は並んでいた親子へ受注票を配る。
五台の空ベビーカーが返却され、画面に〈受注数上限なし〉と表示された瞬間、十個を独占しようとした宗吾の予約だけがゼロになり、ぬいぐるみは欲しい子ども一人ずつの分になった。