ぬるい水を一本

宮坂珠恵は、自動販売機の横にしゃがみ込む女性を見つけた。両手で胸元を押さえ、息を短く繰り返している。

「救急車を呼びます」

珠恵が端末を出すと、女性は首を振った。

「パニック発作です。触らないで。名前を聞いて、答えられなくなったら呼んでください」

自分で条件を言えるなら大丈夫なのか、言えるうちに呼ぶべきなのか。珠恵は迷った。具合の悪い人を前にして待つだけなのが、いちばん苦手だった。

「名前は」

「答えられます。今は言いたくないです」

女性は助けを拒んでいるのではなく、方法を選んでいた。珠恵は、医療は早いほどよいと思う。女性は、駅員室へ運ばれたり囲まれたりすると、かえって息ができなくなると言う。

二人は先に決めた。胸の強い痛み、意識が遠のく、質問に答えられない、そのどれかがあれば珠恵が呼ぶ。それまでは触れず、移動させず、そばにいる。珠恵には待つための手順が必要で、女性には勝手に進められない約束が必要だった。女性は、必要以上に大ごとになることが怖いと言う。どちらの不安が正しいかは決められなかった。

「水は飲めますか」

「冷たすぎないものなら」

自販機には常温がなく、珠恵は一本買って両手で包んだ。女性も反対側からボトルを持つ。冷えた表面に二人の指の跡が曇って残った。珠恵は何度も時刻を見そうになり、代わりに自販機の点検シールを読んだ。女性は呼吸の合間に、次に尋ねてほしい質問を指で一つずつ示した。冷たさが少し抜けるまで、二人で青いラベルの文字を数えた。一本目の電車が来たが、女性は立てない。珠恵も乗らなかった。

二本目が来るころ、呼吸は長くなった。珠恵がもう一度「呼びますか」と尋ねると、女性は「まだ」と答えた。答えられることを確認し、珠恵は端末を伏せた。

三本目の接近放送が流れる。女性は立ち上がり、自販機でもう一本水を買った。それを珠恵へ押しつける。

「あなたも二本、逃したので」

珠恵は礼を断らず受け取った。二人は同じ車両へ乗ったが、別々のドアのそばに立った。

手の中の水は、どちらも同じくらいぬるくなっていた。