みんなの猫、誰かの猫
那須野都は、祖母の家へ越してきたばかりだった。
家と一緒に引き継いだ三毛猫の名は、つづら。祖母が入院するまで、庭と縁側を自由に行き来していた。
都は猫を室内で暮らさせようとしたが、古い網戸の留め具が外れた夕方、つづらは姿を消した。
都は写真を持って商店街を回った。
「この猫を見ませんでしたか」
米屋の主人は写真を見るなり言った。
「ああ、ミケさん。昼に来たよ」
花屋では「リボンちゃん」、写真館では「先生」、駄菓子屋では「つぶあん」と呼ばれていた。
誰も、つづらが祖母の猫だと知らなかった。皆、自分のところへ時々来る気ままな猫だと思っていた。
聞くたび、つづらの一日が地図になった。
午前は米屋の陽だまり、昼は写真館の椅子、夕方は駄菓子屋の裏。祖母が元気な頃から、猫は町にいくつも居場所を持っていたらしい。
「私だけが、何も知らなかった」
都が呟くと、花屋の女性が首を振った。
「うちも、名前を今日知ったもの」
捜索には、各店の人が加わった。
米袋の陰、植木鉢の間、写真館の暗室前。駄菓子屋の子どもたちは、つづらが好きだった鈴のついた玩具を鳴らした。
夕暮れ、紙店の配達員が首を傾げた。
「朝、荷台に三毛の毛がついていたな」
配達車はすでに車庫へ戻っていた。
後部扉を開けると、包装紙の束の上で、つづらが丸くなっていた。配達中に乗り込み、降りる前に扉が閉まったらしい。
都が名を呼ぶと、猫は伸びをし、慌てた様子もなく歩いてきた。
周囲から、「ミケさん」「先生」「つぶあん」といくつもの名が飛ぶ。つづらは全部に尾を上げた。
都の家の縁側で、捜した人たちへ茶を出した。
祖母が漬けた梅を使った番茶と、駄菓子屋の胡麻煎餅。皆が、つづらの好きな場所や癖を話した。
「祖母も知っていたのかな」
「たぶん。猫を通して、私たちの様子も聞いてたんじゃない?」
米屋の主人が笑った。
翌日、都は網戸を直し、つづらを室内で過ごさせることにした。
代わりに窓辺へ長い棚を作り、商店街の人が通ると見えるようにした。首輪には名前と連絡先をつけた。
店の人々は窓越しにそれぞれの名で呼び、つづらは平等に瞬きを返す。
都も買い物のたび、誰かと立ち話をするようになった。
家へ戻れば、窓辺の三毛猫が待っている。
縁側には梅番茶の酸っぱい香りと、畳に温められた毛の匂いが残った。つづらは誰か一人の猫でありながら、町じゅうに小さな居場所を持つ相棒だった。