イヤホンの片耳
石倉穂高は、電車を待つ間ずっとイヤホンをしていた。
高瀬雪乃は、それを無愛想の印だと思っていた。クラスでも必要なことしか話さず、昼休みは一人で窓の外を見ている。
穂高が聴いているものを、雪乃は勝手に激しいロックだと想像していた。彼は体育祭でも歓声を上げず、文化祭の打ち上げにも来なかったからだ。ただ、朝だけは同じ位置に立ち、電車が来る直前まで音楽を止めない。雪乃はその横顔が、誰かと話しているときより柔らかいことを知っていた。
ある朝、雪乃のスマートフォンが突然壊れた。画面はつくのに音が出ない。英語のリスニング課題を電車の中で済ませる計画が崩れた。
「それ、貸して」
ホームで穂高のイヤホンを指さすと、彼は目を丸くした。
「片耳だけ」
「何に使うの」
「宿題」
穂高は右のイヤホンを外し、差し出した。コードのない小さなそれを雪乃が耳に入れると、流れてきたのは英語教材ではなく、古いピアノ曲だった。
「趣味、意外」
「返して」
「待って、いい曲」
二人で一曲を分けたまま、電車を待った。右の耳には同じ旋律、左の耳には駅の放送と足音が入る。
「曲名は?」
「知らない」
「知らない曲を聴いてるの?」
「姉が残したプレイリスト。去年、亡くなった」
雪乃は何も言えなくなった。穂高は線路を見ていた。
「一人で聴くと、途中で止める。でも誰かとなら最後まで聴けるかと思って」
ちょうど曲が静かな部分に入った。雪乃はイヤホンを返さず、そのまま立っていた。
電車が来ても曲は終わらなかった。二人は一本見送った。
次の電車まで八分。曲の最後の音が消えると、ホームのざわめきだけが戻ってきた。
「宿題は?」
穂高が聞いた。
「家でやる」
「計画性ないね」
「電車一本見送った人に言われたくない」
雪乃がイヤホンを返すと、穂高は首を振った。
「もう一曲だけ」
今度は彼が左、雪乃が右を使った。
その日から、朝のホームで穂高は片耳だけイヤホンをして待つようになった。もう片方は、雪乃が来るまで空けたままだった。