ゼロを一つ足した翼

村瀬晴香は物流ドローン会社の耐久試験チームに配属されたばかりだった。大手通販会社との量産契約会議で、プロペラの疲労試験結果を説明することになった。

報告書には「一、〇〇〇、〇〇〇回転サイクル、亀裂なし」。契約条件を満たし、役員は五千機の発注書を開いた。

晴香が試験機を止めたのは一〇〇、〇〇〇回だった。根元に髪の毛ほどの亀裂が見つかったからだ。

「追加試験で百万回まで確認した」と開発部長の赤松は言った。

晴香は試験機のカウンター写真を出した。表示は100,000。報告書では数字の末尾にゼロが一つ足され、1,000,000になっている。フォントの太さが最後のゼロだけ違った。

赤松は写真は途中経過だと説明した。

晴香はモーターの稼働時間を計算した。百万回に必要なのは二十七時間四十六分。試験開始から報告書署名まで七時間十二分しかない。物理的に百万回へ届かない。

通販会社の技術者は別の高速条件を使った可能性を尋ねた。

試験機の上限回転数では、最短でも二十一時間。さらに軸受温度ログは七時間十二分で途切れ、その後は機械の電源が落ちている。

赤松は、量産が止まれば資金調達も消え、会社そのものが潰れると晴香を責めた。ストックオプションも、同期の仕事も失われる。

晴香は亀裂の顕微鏡写真を発注書の横へ置いた。試料番号は報告書と同じ。品質責任者の電子署名は、亀裂発見の三分前に付されていた。

「ゼロを足しても、翼の寿命は十倍になりません」

晴香は百万回を示す報告書のファイル履歴も開いた。最終更新者は赤松、変更内容は文字列の置換『100,000→1,000,000』。自動生成された比較記録なので消せなかった。赤松は体裁修正だと言ったが、契約条件を満たす唯一の桁が、その修正で生まれていた。

亀裂写真の撮影時刻も、置換前の報告書に残っていた。

通販会社の役員が発注書を閉じた。五千機の決裁は、追加された一つのゼロの直前で止まった。