ゼロ人から始める夜
海老沢は、同時接続ゼロのまま三分話した。
配信を始める前、五分だけと決めていた。誰も来なければ、公開しない練習だったことにして削除するつもりだった。
午前一時五十三分。窓には雨が当たり、エアコンの室内機が、ぶうん、止まる、ぶうん、と周期を繰り返している。机のライトは明るすぎ、マイクの銀色だけが白く浮いていた。
海老沢は今日食べた梨の話をした。
少し固く、切るとき包丁が鳴ったこと。半分残して冷蔵庫へ入れたこと。明日のほうが甘くなるかは分からないこと。
画面の数字はゼロ。
誰も聞いていないなら、声は空調と同じだと思った。機械は相手がいなくても回り、雨は窓が見ていなくても降る。
四分二十秒、数字が一になった。
入室した人は何も書かない。海老沢は急に声を整えたくなったが、五分まで残り四十秒しかなかった。
「今、誰か来たみたいですが、延長はしません」
自分でも冷たい言い方に聞こえ、少し笑った。
「最初から五分と決めていたので」
相手は退室しなかった。一のまま、秒数だけが進む。
海老沢は梨の話を終え、「聞いてくれた人も、誰もいなかった最初の時間も、ありがとうございました」と言った。
五分ちょうどで終了する。
アーカイブを保存するか尋ねる画面が出た。ゼロ人の三分と、一人の四十秒が同じ音声の中に入っている。
海老沢は保存を選んだ。
誰かが最初から聞き直すかもしれないし、誰も聞かないかもしれない。数字が増えなくても、ゼロの時間に話した自分の声は消えない。
冷蔵庫を開け、残した梨を確かめる。透明な容器の中で、切り口が少し光っていた。食べるのは明日でいい。
保存後の波形は、五分間ずっと同じ幅ではなかった。誰かが来る前の声のほうが少しゆっくりしている。海老沢はそこを切らず、ゼロ人へ話した自分も配信者の一部にした。数字の外にも、話した時間は残っていた。
海老沢は机のライトを消した。空調は同じ周期で回り続ける。今夜は誰かが来るまで待たず、五分を終えられたことだけで十分だった。