レンズ蓋の傷
佐伯環は、写真機店フォーカスへ、黒いレンズ蓋を持ってきた。中央を斜めに横切る白い傷がある。父が仕事で使っていたカメラのものだ。
父は婚礼写真を撮る人だった。毎週末この店へ寄り、フィルムや電池を買い、撮影後にはレンズの手入れを頼んだ。環も助手をしながら写真を覚えたが、父が急死してからは結婚式の仕事だけ断っていた。幸せな二人へカメラを向けると、父の背中がファインダーへ入り込む気がした。代わりに商品写真や証明写真を撮り、忙しく働いているふりをした。撮影を辞めたわけではないから、逃げてはいないと言い聞かせていた。
今朝、以前の依頼主から、娘の結婚式を撮ってほしいと連絡が来た。父が家族写真を撮り続けた一家だった。先方は「お父さまと同じように」と書いていた。環はその一文が重く、断る文面を作り、送信前にレンズ蓋を見つけた。傷は父が最後の撮影で落としたときについたものだった。
店主は蓋を受け取り、傷を消せる薬剤をいくつか並べた。しかし使ったのは、内側の埃を取る柔らかな刷毛だけだった。留め具のばねを替え、環が持参したレンズへ何度も着脱する。蓋は小さく音を立てて、確実にはまった。
環が傷について尋ねると、店主は研磨布を畳んで引き出しへ戻した。消そうと思えば薄くできる。それでも表面を削れば、蓋の厚みも減る。店主は説明を続けず、検品用の白い鉛筆で裏側へ小さな丸をつけた。
修理票には「外観傷あり」と印字されていた。その下の「使用可」へ、店主は濃い判を押した。傷を不良として値引くことも、父の形見として特別扱いすることもしなかった。
会計後、蓋は新しいカメラ用品の袋へ入れられた。父の名前が書かれた古い袋ではない。宛名欄には環の名だけが記されていた。
店先で、環は依頼主への返信を開いた。断り文を消し、「当日は私が撮影します」と入力する。父の代わりに、とは書かなかった。
送信したあと、環はレンズへ蓋をはめた。白い傷は正面に残ったまま、ばねだけが新しい力で閉じた。