一つだけの質問
「質問は一つずつお願いします」
言語学院の教師サイラス・ネムは、異種族の生徒が同時に話し出すたび両手を上げた。竜語、精霊語、古代語を教えるのに、本人の声は驚くほど平凡だった。放課後は発音札を並べ、壊れた伝声管を直し、吃音の生徒には答えを急がせなかった。
その生徒、ハルカンが個人練習をしていると、黒板の疑問符が増殖した。
疑問符は百の口を持つ獣へ変わる。問殺しのスフィンクス。答えられない問いで魂を奪い、答えればその言葉を世界から消す魔族だ。
百の口が一斉に開いた。
『勇者とは何か。正義とは何か。死とは何か。名とは何か。お前はなぜ――』
サイラスは教鞭を上げた。
「一つずつ、と言いました」
教鞭が空中に点を打つ。
百の疑問符から点が奪われ、すべてただの曲線になった。問いを失った口は閉じ、魔獣は意味のない黒い線へ崩れる。サイラスが黒板消しを一度滑らせると、その線も消えた。魔王の真名を一語で砕いた《言断》の勇者。その力は、文法訂正ほど静かだった。
机の陰にいたハルカンだけが、教師の一言で怪物が無力になるのを見た。
ハルカンは、百の口を一息で黙らせた教師が、自分の一文には最後まで待ってくれたことに驚いた。問殺しの魔獣は答えを奪うために質問した。サイラスは相手の言葉を受け取るために待つ。似ているようで正反対だった。勇者の力を言いふらすより、この教室では急がなくてよいと皆に伝えるほうが、先生の望みに近い気がした。
サイラスは散った白墨を掃き、黒板の傷へ補修液を塗った。百の声で割れた伝声管を締め直し、窓から入り込んだ黒い埃を布で拭う。それから生徒の前へ椅子を戻した。
「せ、先生は、ゆ、勇者で――」
「急がなくていい」
サイラスは待った。ハルカンは何度か息を整え、ようやく一文を最後まで言う。
「先生は、どうして先生になったんですか」
彼は少し考えた。
「良い質問です。答えは次の授業で」
怪物の百問には一瞬で決着をつけた男が、少年の一問には時間を与えた。
教室を閉める前、彼は穏やかに繰り返した。
「質問は一つずつお願いします」