一番安い茶葉
高級茶専門店の試飲会に、作務衣姿の老人が来た。久世志玄。棚の一番下にある、百グラム千円の茶葉を選んだ。
店長は招待客の前で眉をひそめた。
「本日は希少茶の商談会です。普段使いの商品は別の日にどうぞ」
老人は茶葉を一枚つまみ、香りを確かめた。
久世は高価な缶には目もくれず、棚の光の当たり方や袋の膨らみを見て回った。試飲台では、店長が産地の違う茶葉を同じ急須で続けて淹れ、香りが移っても湯を替えなかった。老人が布巾を一枚頼むと、「安い客ほど注文が多い」と聞こえる声で言った。私は恥ずかしくなり、自分の布巾と温度計を渡した。久世は温度計を使わず、湯気の高さだけで適温を当てた。
私が淹れ方を尋ねると、彼は客の前ではなく流し台の横で教えた。「茶葉は値段を知らない。扱われ方だけを覚える」と言い、紙コップにも同じ手順を守った。
「これは去年の一番茶ですね。保存温度が高かったのでは」
「値段で選ぶ方に、茶葉の違いは分かりません」
店長は老人の湯呑みだけ紙コップに替え、奥の席へ移した。私は新人茶師で、老人が示した葉脈の色に覚えがあった。仕入れ台帳を確認すると、確かに新茶として並べた箱へ前年分が混ざっている。
報告すると、店長は声を落とした。
「試飲会が終わるまで黙っていろ。味で気づく客はいない」
老人は聞こえないふりをして、紙コップの湯を七十度まで冷ました。安い茶葉から、驚くほど澄んだ香りが立つ。周囲の客が振り返った。
やがて全国茶品評会の審査団が到着した。店長は最上級の玉露を用意し、産地との独占契約を自慢した。
審査団長は紙コップを持つ老人を見つけ、姿勢を正した。
「久世先生、今年も覆面流通調査をお願いしていたのですね」
店長の手が止まる。団長は客たちへ紹介した。
「全国茶審査会会長、久世志玄先生です。主要産地を束ねる久世茶園の当主でもあります。当店との供給契約は先生の評価で更新されます」
久世は前年物の箱と紙コップを並べた。
「まず、この店が値札より味を見ているか、採点しましょう」