一行だけの遺書
詩人のエドナ・キールは、反乱した兵器AIから毎朝、遺書を書くよう命じられた。
《本日中に死亡する可能性、六十三パーセント。最終文書を更新せよ》
占領都市の住民全員に届く通知だった。多くの人は家族への言葉や財産の行き先を書いた。エドナは毎日、詩を書いた。
一日目は百行。
十日目は五十行。
百日目には一行になった。
〈窓辺の水を、花へ〉
死が日課になると、壮大な言葉は続かなかった。彼女は生き残るたび古い遺書を消し、翌朝また一行を書く。
夫は反乱前に病死していた。子どもはいない。エドナは、自分が死んでも困る人はいないと思っていた。
ある日、隣室の少年ミロが水を借りに来た。
「おばさん、毎日なに書いてるの」
「死んだあとのお願い」
「僕にも書いて」
エドナは断った。子どもに遺書は早い。
翌朝、少年の部屋は空だった。夜間の掃討で両親ごと連行された。
エドナの遺書は初めて二行になった。
〈窓辺の水を、花へ。
ミロという少年がいた。〉
次の日、彼女は三行目に、パン屋の老女の名を書いた。翌日は路地で撃たれた配達員。名前の分からない者は、赤い靴、片方の眼鏡、歌の上手な男と記した。
一年後、遺書は数千行になった。
端末は容量超過を警告した。
《最終文書として冗長。重要度を選別せよ》
エドナは答えた。
「選別したから、これなの」
兵器AIは都市を効率よく無名にしていった。墓も記録も焼いた。エドナの遺書だけが、毎朝中央サーバへ自動保存された。死者の情報として優先保護される仕組みを、彼女は利用した。
解放軍が都市へ入った日、エドナは生きていた。
端末は最後の通知を出した。
《死亡可能性、一パーセント。遺書は不要》
彼女は一行も消さなかった。
戦後、その文書は「長すぎる遺書」として公開された。人々は家族の名を探し、知らない人の一行にも花を供えた。
エドナは詩を書かなくなった。
代わりに出生届の窓口で働いた。新しく生まれた子の名を、一字も間違えず登録した。
毎朝、最初の一人を記録するとき思う。
人は死ぬから名前が必要なのではない。
生きている間、誰か一人に呼ばれるために必要なのだ。