上映されなかった父

映画学校へ行きたいと言った私に、父は「食えない」と反対した。

私は腹を立てながらも、結局は地元で就職した。

父が亡くなった今、その選択を父のせいにすれば、撮らなかった責任まで渡せる気がしていた。

実家の物置から、古い八ミリフィルムが出てきた。

町の閉館した映画館で回すと、スクリーンに別の私の映画が映った。

映画学校へ進んだ私は、父を撮り続けていた。

工場で働く背中、休日の居眠り、母と喧嘩して鍋を洗う姿。

画面の父は、カメラを嫌がりながら、時々こちらへ笑った。

私は客席で動けなかった。

現実の父の声を、ほとんど残していない。

向こうの私は、私が欲しかったものを全部持っていた。

上映が進むと、映像は華やかな映画祭へ変わった。

父の記録は賞を取り、向こうの私は舞台で喝采を浴びる。

けれど最後の場面で、病室の父が言った。

「お前、カメラ越しにしか俺を見ないな」

向こうの私は答えられなかった。

映画のために父の弱さを撮り、見舞いの時間まで構図を考えていた。

スクリーンの端で、父はカメラの外へ手を伸ばしていた。

私の世界では、父の最期の半年、毎週一緒に将棋をした。

会話は少なかったが、父が負けそうになると盤を少しずつ動かす癖を知っている。

映像はない。けれど手の温度は覚えている。

フィルムの最後に、向こうの私が映った。

カメラを置き、客席のこちらを見ていた。

羨ましい、と彼女の顔に書いてあった。

上映が終わると、スクリーンは白くなった。

持ち帰ったフィルムには、何も写っていなかった。

私は父を題材にした映画を作るのをやめた。

代わりに、母の日常を撮り始めた。

洗濯物を畳む手、庭の草を抜く背中、父の将棋盤を拭く横顔。

母は「死ぬ準備みたいで嫌」と怒ったので、カメラを置き、一緒に草を抜いた。

撮る日と、撮らない日を作った。

短い映像は町の上映会で流した。賞は取らず、母だけが「私、こんなに猫背?」と文句を言った。

父の映画は、どの世界でも完成しなかった。

それでも私は初めて、人生を作品にすることと、人生のそばにいることを、どちらか一つにしなくていいと知った。