二つの都市

 相馬純は、経線時計店へ二つの時刻を表示する腕時計を持ってきた。

 大きな文字盤の内側に、小さな文字盤がもう一つある。父が海外出張で使っていた品で、外側は東京、内側は訪問先に合わせていた。今は小さな針だけが止まっている。

 純の姉はリスボンに住んでいる。父が入院した二年前、帰国できない姉と、病院へ通う純は電話で何度も争った。費用を出すと言う姉に、純は「お金で済ませないで」と言った。姉は「そばにいる人だけが家族なの」と返した。それきり、必要な連絡も母を通している。

 先週、姉から〈直接話したい〉と届いた。純は既読をつけたまま、時間が合わないことを理由に返していない。東京の夜はリスボンの昼だと知っているのに、都合のいい時刻を調べることさえ避けた。

 話せばまた責めるかもしれない。責められるかもしれない。時差は、その両方を延期する便利な壁になっていた。小さな文字盤も、壁のこちら側で止まっていた。

 店主は時計の裏を開け、小さな歯車の外れを直した。大きな竜頭で東京を、側面の細い竜頭でリスボンを合わせる。

 午後八時十二分。小さな文字盤は正午十二分。

 二つの秒針は別々の位置から動き出し、店主が調整を重ねると、十二の位置で同時に重なった。その後は同じ速さで進みながら、指す数字だけが違う。

 店主は修理票の時差欄へ〈-8〉と記し、夏時間の終了月を小さく添えた。純へ説明するとき、どちらを基準、どちらを副表示とは呼ばず、〈東京側〉と〈リスボン側〉と言った。

 純は姉との画面を開いた。

〈日曜の二十一時なら、そっちは十三時だよね。話せる?〉

 何から話すかは書かなかった。謝るかどうかも決めていない。ただ時刻だけを置いて送る。

 数分後、〈話せる〉と返った。

 店主は時計を純の腕へ留め、二つの竜頭が袖へ引っかからない向きに直した。箱は空のまま紙袋へ入れる。

 純が店を出るころ、大きな針も小さな針も一分進んでいた。同じ数字にはいない。それでも日曜には、同じ一秒を挟んで話せる。