五万枚目の観客
音楽イベント会社の投資審査会で、小比類巻澄はチケット印刷会社の営業補助として、前売券五万枚の販売実績を確認するため呼ばれた。完売実績を根拠に、イベント会社は二十億円の追加投資を求めている。
販売資料には「50,000枚、売上四億円」。スポンサー協会が一括購入し、受領印も押していた。
澄は印刷発注書を出した。製造した券は五千枚。番号は00001から05000までで、五万枚目は存在しない。
創業者は残り四万五千枚を電子チケットで発行したと説明した。
電子発券システムのログを確認すると、発行済みは三百二十件。しかも大半が関係者招待で、販売額はゼロ。五万枚という数字は、印刷枚数5,000へゼロを一つ足して作られていた。
スポンサー協会の登記住所はイベント会社内の一室で、代表は創業者の秘書。四億円の購入代金は、イベント会社が協会へ貸し付けた四億円をその日のうちに戻したものだった。
受領印も偽物だった。協会印の登録日は取引の翌日で、売買契約の日には存在しない。署名者の時刻も、発券ログが作られる三時間前だった。
投資家は、開催日までに売れれば結果は同じだと言った。
澄は会場図を投影した。最大収容人数は一万二千人。五万枚を本当に売れば、三万八千人が入場できず、返金債務が発生する。
印刷会社の社長は大口顧客を失うと怯えたが、澄は販売証明へ印を押さなかった。
「五万枚目の観客には、席も券もありません」
澄は入場ゲートの能力も確認した。会場には読み取り機が八台しかなく、開場二時間で五万人を処理する設定ではなかった。警備計画の想定来場者は四千八百人。投資資料だけが、印刷枚数と会場能力の双方へゼロを足していた。
スポンサー協会の口座残高は、貸付前には三万円しかなかった。四億円を自力で購入できる組織ではない。
投資委員長が二十億円の承認欄を閉じた。存在しない観客の列は、決裁室の入口で途切れた。