五行目を空ける
実莉のメールは長かった。依頼を断るときは事情を五つ、間違いを報告するときは経緯を時系列で、休むときは回復予定まで書く。短い文では冷たいと思われる。説明が足りなければ、怠けていると誤解される。だから一通送るたび、本文は画面いっぱいになった。
飲食チェーン本部の佐伯鉄平は、伝票の余白を必ず残す無口な同僚だった。文字は小さく、報告は三行。雑談をしないため、実莉は最初、怒っている人だと思っていた。
店舗から届いた返品伝票を整理していると、鉄平が一枚の白紙を差し出した。罫線は五本あるのに、四行目までしか番号がない。
『今日の報告は、一行埋めずに渡す』
「情報不足になりませんか」
鉄平は実莉の長い下書きを読み、同じ内容が繰り返されている箇所を二つ指した。削れとは言わない。正解の文面も書かない。
先月、後輩から「結局、最初に何をすればいいですか」と聞き返された。丁寧に説明したつもりのメールが、相手には壁のように見えたらしい。実莉はそのとき、読まない後輩に腹を立てた。けれど鉄平の三行報告は、読む側が迷わず次の手を選べる。短さは冷たさではなく、相手を信じて任せる形なのかもしれなかった。
午後、実莉は発注数を一桁多く入力したことに気づいた。出荷前で、修正は可能だった。上司への報告文を書き始める。
『大変申し訳ございません。昨日は店舗対応が重なっており、通常より確認時間が短く――』
事情は事実だった。でも、説明を積むほど、間違いの中心が遠くなる。五行目まで埋めれば、自分を守れる気がした。
鉄平の白紙を横に置く。実莉は文を消し、三行にする。
『発注数を一桁多く入力しました。出荷前のため、十五時までに修正できます。確認手順を一項目追加します』
四行目には、店への影響がないことを書いた。五行目は空いたままだ。
送信後、上司から「修正をお願いします」とだけ返る。責める言葉も、慰めもない。余白は、相手が考える場所でもあった。
終業前、休暇申請の理由欄を開く。いつもなら体調と予定を詳しく書くところを、実莉は「私用のため」とだけ入力し、残りの欄を白いまま提出した。