余白の部屋
姫野創馬は二十六歳の建築写真家で、取り壊し前の茅伏村「七間宿」を撮影した。名の通り客室は七つ。だが外観写真には、二階の端に八枚目の窓が写っている。
宿帳は部屋ごとに七列へ分かれ、中央の余白が不自然に広い。過去の客も八枚目の窓を見たらしく、余白へ鉛筆の跡だけが残っていた。
管理人から渡されたメモ。
《宿帳の余白に、部屋番号を書いてはいけない》
創馬は撮影カットを整理するため、問題の窓を「8号室」と呼ぶことにした。紙のメモを忘れ、宿帳の余白へ一度だけ「8」と書いた。
二階で鍵の回る音がした。
廊下の端に、さっきまでなかった扉がある。磨りガラスには創馬の影が映っていたが、本人は扉の前に立っている。影だけが室内側からノブへ手を伸ばした。
創馬は撮影を中断し、車で村を離れた。写真を確認すると八枚目の窓は消え、代わりに自宅マンションの窓が一枚増えていた。
帰宅後、ロボット掃除機の間取り地図に見知らぬ部屋が追加された。寝室の外壁の向こう、空中に《客室8》がある。削除しても、清掃のたび面積が広がった。
マンションの管理図面を取り寄せると、創馬の部屋だけ専有面積が一畳増えていた。隣人は夜中に彼が壁の向こうで客へ挨拶する声を聞いたという。ドローンで外壁を撮ると、存在しない窓の内側に七間宿の廊下が続き、創馬がカメラを構えている。撮影日時は明日の午前三時。掃除機のごみ収集記録には、藁と古い宿札が追加されていた。
創馬が壁紙を剥がすと、その裏に宿帳と同じ罫線が走っていた。八の数字は壁の内側から墨でなぞられ、乾く前に次の線が増える。耳を当てると、向こう側の自分が宿泊カードへ現在の住所を書いていた。
三日目、掃除機は壁へ何度も衝突し、突然その向こうへ消えた。アプリ上では客室八を走り続けている。マイクから、畳を擦る音と創馬自身の咳が聞こえた。
やがて清掃完了の通知が届く。
《客室8を整えました》
《新しい宿泊者が内側から入室します》
寝室の壁に、鍵が回る四角い音がした。