保留音が終わるまで

「保留は三分までにしてください」

コールセンターの品質担当、奥津結香は石田壱成へ何度も注意した。

壱成は難しい問い合わせほど慎重で、確認に時間をかける。結香が隣から三本指を立てると、必ず二分五十秒で戻ってきた。

仕事以外では逆だった。食事へ誘いかけて「転勤が決まってから」と保留し、休日の話も「繁忙期が終わったら」と保留する。二人とも、相手が同じ場所にいる限り待てると思っていた。

壱成の広島センターへの転勤が決まり、最後の勤務日が来た。結香は彼の最終モニタリングを終え、評価欄へ《問題なし》と入力する。

録音の中の壱成は、いつもより少しゆっくり話していた。結香が最後に聞く声だと意識しているようにも聞こえる。彼の席にはもう私物がなく、付箋もマグカップも箱へ入っていた。転勤先でも同じヘッドセットを使うのだと思うと、結香だけが通話から切断される気がした。

「これで通話記録は全部です」

壱成はヘッドセットを外し、「お世話になりました」とだけ言った。あまりに正しい別れ方で、結香は何も返せなかった。

退勤処理をした直後、結香の個人スマホが鳴る。発信者は壱成。数メートル先のロビーにいるのに、彼は電話をかけていた。

『確認したいことがあります。少々お待ちいただけますか』

通話が保留になり、聞き慣れた音楽が流れる。同時に、結香の画面へ三件の予定が届いた。来月は壱成が東京へ、翌月は結香が広島へ、その次は中間の神戸へ。すべて土曜、二名分の席が押さえられている。

保留音は二分で止まった。

『結香さん。この予定を、同僚としてではなく承諾してもらえますか』

結香は電話を切り、ロビーの彼へ歩いた。画面上の《承諾》を押す代わりに、壱成の手を取る。

「口頭確認でいいですか」

「お願いします」

「壱成さん。三件とも行きます。四件目も入れてください」

彼の指が結香の指へ絡む。周囲の退勤者が通り過ぎても、もう通話記録は残らない。

保留は三分まで。

二人が何年も止めていた返事は、転勤直前の二分で、次の約束へつながった。