傷だらけの眼鏡
百舌鳥野結士の眼鏡は、レンズに細かな傷があり、つるも色あせていた。
高級眼鏡サロンへ調整を頼むと、販売主任の上津原美佳は眼鏡を受け取らなかった。
「量販店の商品は修理対象外です。当店のフレームは八十万円からになります」
「鼻当てが少しずれるんです」
「買い替えられない物を延命する店ではありません」
若い眼鏡技師が結士の横顔を見て、左右の耳の高さに合わせた特殊な曲げだと気づいた。上津原は、古い眼鏡へ時間を使うなと彼を下がらせた。
結士は眼鏡を掛け直し、技師の名刺だけもらって帰った。
翌日、サロンでは新しい軽量レンズの発表会が開かれた。親会社社長と、長年匿名だった発明者が出席する。
壇上へ現れた結士を見て、若い技師が一礼した。
百舌鳥野家は、高級眼鏡ブランドと光学研究所を所有する創業家。結士は社長兼レンズ設計者だった。傷だらけの眼鏡は、十年前に作った超軽量試作一号。耐久性を調べるため、レンズだけを交換しながら毎日使っていた。
上津原は顔を引きつらせた。
「社長と知っていれば、工房で特別対応しました」
「知らない眼鏡の構造を見ようともしませんでしたね」
監査資料には、上津原が高額フレームの販売を優先し、調整や修理を断って新品へ買い替えさせていた記録がある。保証対象の顧客からも修理費を取っていた。
一方、若い技師は一目で試作一号の左右非対称設計へ気づいた。結士は彼を研究所の装用評価チームへスカウトした。
「見えるようにする仕事は、値札を見る仕事ではありません」
上津原の販売資格は停止され、返金調査が始まった。
結士は傷のある試作レンズを外し、発表したばかりの新レンズへ交換する。若い技師が鼻当てを一度で正確に合わせた。
世界十五か国との供給契約が承認され、試作一号が技術資料として展示ケースへ収められる。
〈発明者・百舌鳥野結士〉の札が付いた瞬間、古い眼鏡を見下した上津原だけが、目の前にいた所有者も技術も最後まで見抜けなかった。