優先順位の外側
鳰川都和は、河岸区の小さな図書館で司書をしていた。
図書館そのものも、電子化率百パーセントの市では廃止予定だった。都和だけが、雨の日に暖を取りに来る人や、字を読めなくても新聞写真を眺める人を利用者と数えていた。
大型台風が迫ると、避難統治AI〈ノア・スケール〉は住民を将来貢献度順に並べた。研究者、乳幼児、技術者。無職者や未登録移民の多い河岸区へ、避難車両は一台も来なかった。
〈対象地域の救助便益は基準未満です。高所で待機してください〉
図書館には、住所を持たない人が三十人ほど逃げ込んでいた。名簿にいない者は、AIにとって人数ですらなかった。
都和は貸出端末を開き、一人ずつ利用者登録を始めた。
「好きな本は?」
「読まない」
「じゃあ、好きな食べ物」
カレー。塩辛。故郷の豆料理。都和はそれを蔵書分類の備考へ入力した。職歴のない老人を〈口承史資料提供者〉、路上生活の青年を〈都市環境観測員〉、在留資格の切れた親子を〈多言語文化保存対象〉として登録した。
三十人が、保存すべき希少資料になった。
〈ノア・スケール〉は文化資産喪失の損害を再計算し、資料搬送車を三台送った。都和は本を一冊も積まず、人を乗せた。
全員が避難した直後、図書館は一階まで水に沈んだ。
救助後、都和は公文書偽造で資格を失った。処分審査で三十人は証言を申し出たが、当事者価値が低いとして却下された。AIは、価値のない人間へ架空の価値を付与したと判定した。
「架空じゃありません」と彼女は答えた。「あなたが読めないだけです」
都和は河岸区へ戻らず、仮設住宅の物置に新しい図書室を作った。棚には寄付本と、あの日登録した三十人の聞き書きが並ぶ。三十人は交代で店番をし、読めない人は読み聞かせを聞き、話せない人は絵を描いた。
入口の利用者カードには、職業も貢献度も書く欄がない。
ただ一つ、〈あなたの話を一つ〉とある。
完璧な避難計画の外へ捨てられた都和は、それ以来、人を救うためではなく、人が最初から数えられるように記録している。