光沢紙の外へ
雪代冴月は、風見写真館のカウンターで一冊の印画紙見本帳をめくっていた。
匿名で書いてきたエッセイが本になる。出版社から著者写真を求められたが、冴月は顔を出さないつもりだった。文章では、仕事を休んだことも、部屋から出られなかった時期も書いた。それなのに写真となると、疲れの残る目元や、笑うと片方だけ上がる口角が急に許せなくなった。
編集者には、強くぼかした横顔か、後ろ姿なら、と返している。今日は一応撮影だけして、使わない理由を増やすつもりだった。
撮影後、店主は見本帳の光沢紙のページへ試し焼きを置いた。表面は鏡のようで、照明も指紋もよく映る。冴月が触れると、顔の横へ白い指跡が残った。
店主は布で拭き取り、次のページを開いた。細かな凹凸のある絹目紙だった。同じ写真を置くと、光は散り、肌の傷が消えるのではなく、顔だけが前へ出すぎなくなった。紙の存在と写真の存在が、同じ面に並んでいた。
「光沢のほうが、きれいですか」
店主は答えず、二つの価格を注文票へ書いた。光沢は標準、絹目は少し高い。その下の〈人物修整〉には、鉛筆を置いたまま丸をつけない。店内の曲を、華やかな歌入りから、針音の残る器楽曲へ替えた。
冴月は見本帳へ指を滑らせた。光沢紙には、触った証拠がすぐ残る。だから傷つきやすいのではなく、完璧に保つため、誰も触れないようにしたくなるのだと思った。
本に顔を出せば、文章とは別の評価が届く。容姿を褒められることも、貶されることもあるだろう。それを望んではいない。けれど隠すことで、書いた時間まで架空の人物へ渡すのも違った。
「絹目で。修整は、目の下を消さないでください」
店主は〈色調のみ〉へ丸をつけ、見本帳の絹目のページへ細い栞を挟んだ。写真は一枚だけ印刷し、透明ではなく半透明の袋へ入れる。
冴月は出版社へ返信した。
〈著者写真を掲載してください。正面の一枚を送ります〉
実名を出すこととは別の決断だ。匿名のままでも、顔は自分のものとして差し出せる。
見本帳を閉じると、光沢紙についたはずの指紋は見えなくなった。絹目のページには何も映らない。それでも、触れた感触だけは指先に残っていた。