六十三年の睡眠

睡眠計測アプリの開発者、乙部晶生は、枕石村の「石枕夜」に参加した。二十四歳。住民が河原の平たい石を枕にし、夜明けまで古い唱えを聞く祭りである。

唱えの文句は、眠っている間に失う年を一つずつ数える内容だった。参加者は意味を知らないと言いながら、全員自分の年齢より多い数まで暗唱できる。晶生は睡眠中の時間感覚を調べる好機と考え、アプリの実験モードを有効にした。画面には開始前から『残り六十三年』と出ていた。

郷土資料館の聞き書き音声は、最後に一つだけ注意する。

《最後の唱えが終わる前に眠ってはいけない》

晶生は新型の睡眠リングを試すつもりだった。眠らなければデータにならないという矛盾に気づき、浅い居眠り程度なら記録上も面白いと考えた。

河原の石は夏なのに氷のようで、唱えの合間に赤ん坊の泣き声と老人の咳が混じった。晶生のリングは眠る前から、心拍ではなく年齢を一つずつ減らしていた。

午前四時、唱えはまだ続いていた。石の冷たさが心地よく、晶生は一度だけ目を閉じた。

目を開けると、同じ河原にいた。空も時刻もほとんど変わらない。ただ、周囲の参加者が全員老人になっていた。皺だらけの男が晶生の手を握り、「やっと起きた」と泣いた。顔立ちは、十歳下の弟に似ていた。

晶生が瞬きをすると、参加者は元の年齢へ戻り、最後の唱えが終わった。眠ったのは三十秒ほどだと誰もが言った。

帰宅後、睡眠アプリを同期した。

《睡眠時間:六十三年二か月十一日》

《途中覚醒:なし》

グラフには、結婚、転職、入院、葬儀というラベルが並んでいる。どれも晶生の予定にはない。録音された寝言を再生すると、老人の声で「弟より先に起こしてくれ」と繰り返していた。

データを消してもクラウドから復元される。カレンダーには、知らない子どもたちの誕生日と、自分の命日が登録された。

枕元には、見覚えのない曾孫たちからの寄せ書きが、黄ばんだ紙で置かれていた。

翌朝、いつものアラームが鳴った。画面の日付は現在のままなのに、音声だけが淡々と告げた。

《おはようございます、乙部晶生さん。本日は八十七歳の誕生日です》

停止ボタンの下に、次のアラームが表示されていた。

《起床予定:六十三年前》