六月の風邪
伊織と暮らし始めてから、私はよく体調を崩した。
以前は風邪で休むことさえなかったのに、彼は「一人で頑張りすぎていただけ」と過去まで言い換えた。
私も次第に、元気だった記憶の方を無理の証拠だと思うようになった。
朝は頭痛、午後は息苦しさ。伊織は「仕事のストレスだ」と心配し、弁当を作り、病院へ付き添った。退職して休めば治ると何度も勧めてくれた。
会社から連絡が来ると、伊織は私より先に「今は休ませてください」と答えた。友人が見舞いを申し出ても、感染する風邪かもしれないと断った。私は孤立している気がしたが、彼は部屋へ花を飾り、「誰も来なくても僕がいる」と笑った。その花の香りが強い日は特に頭が痛んだのに、心配をかけたくなくて言えなかった。
ただ、彼の世話には妙な決まりがあった。毎日午前三時十七分、寝室の窓を五分だけ開ける。空気を入れ替えるためだという。もう一つ、渡されるビタミン剤には箱も成分表示もなかった。
「海外のいいやつ」と笑うので、疑わず飲んだ。
六月に入り、症状は悪化した。会社を休むと伊織は安堵し、「これでずっと一緒にいられる」と額へキスをした。その言葉を愛情だと思いたかった。
ある夜、頭痛で目が覚め、伊織のスマートフォンから窓を閉めようとした。スマートホームの画面には、私の知らない自動設定が並んでいた。
〈小都里・出勤期〉
午前三時十七分 換気
午前六時四十分 暖房停止
午前七時十分 芳香器作動
芳香器には、私が頭痛を起こすと伝えた精油が登録されていた。薬の時間も、睡眠を浅くする通知音も自動化されている。
さらに過去の設定が三つ残っていた。どれも女性の名前で、最後は〈退職後〉へ切り替わっていた。
伊織に見せると、彼は私の端末を取り上げ、「具合が悪い時に変な想像をするな」と言った。
翌朝、彼はいつもどおり会社へ休みの連絡をしてくれた。私はベッドから起き上がれず、その声を聞いていた。
画面では〈小都里・出勤期〉の下に、まだ使われていない〈小都里・在宅〉が用意されていた。