六通分の宛名
退職届は、宛先の上司の姓名を声に出して初めて有効になる。呼ばれた上司の寿命は一日減る。同じ宛名の退職届は束ねて読めば、一度の呼名でまとめて受理される。
逆巻祥平が開発三課の課長になった月、机の引き出しに六通の退職届が入っていた。全員、宛名は彼だった。日付だけ空欄で、誰も読み上げていない。
前任の課長は十二年で四百日を失い、退職祝いに日めくりカレンダーを贈られて怒ったという。祥平の新しい名札にも、裏側へ「呼名損失は管理職手当に含む」と刻まれていた。表側の姓名は、透明なテープで何重にも覆われていた。
会社は納期を半分にし、残業申請を廃止した。役員は会議で社員を番号で呼び、自分たちの姓名だけは議事録から消していた。六人が辞めたいのは当然だった。だが祥平とは同期や後輩で、彼の寿命を六日削ることだけをためらっていた。
「番号宛てでは受理されないんですか」
「役職は人じゃないからな」
祥平は一通ずつ返そうとした。すると六人は、残るとも言わず、働き続けた。午前二時のフロアで、キーボード音だけが増えた。
週末、祥平は退職届を会議室へ持ち込んだ。日付を同じ月末にそろえ、左上を大きな黒いクリップで留めた。
六人を呼び、束を机に置く。
「規則では、誰が宛名を読んでもいい」
「課長が自分で呼んでも減ります」
「だから一回で済ませる」
祥平は自分の姓名を口にした。胸の寿命票から一日が消え、六枚すべてに受理印が浮かんだ。
後輩の一人が泣きそうな顔で、「すみません」と言った。
「その言葉は退職理由に書くな。次の会社で使え」
月末までに引き継ぎを終え、六人は同じ日に去った。祥平も、その翌日付で役員宛ての退職届を出した。役員の名を呼ぶのは、人事部の代行者に任せた。
空になった課の机には、六人分の樹脂製ネームプレートが残った。祥平は名前の面を内側にして折り、黒いクリップへ差し込んだ。
翌朝、清掃員が見つけたとき、それは羽の短い六羽の鳥のように立っていた。中央のクリップだけが、一日ぶん錆びた色をしていた。