写真の裏の志望先
小泉緋奈は、履歴書用の写真を台紙から剥がした。
母が選んだ紺のスーツ、母が予約した写真館、母が指定した薄い口紅。写真の裏には母の字で〈信用金庫用〉と書かれている。
緋奈は実家の食卓で、その写真を一枚ずつ封筒へ戻した。
「明日、支店長さんに会うのよね」
母が煮物を取り分けながら言った。
「会わない。応募もしてない」
「でも先方には、あなたが地元へ戻りたがってるって」
緋奈は箸を置いた。母が同級生を通じ、面談を組んだことを今初めて知った。
「断って」
「一度くらい会えばいいでしょう。今の配送会社より聞こえもいいし」
緋奈は物流倉庫で運行管理をしている。夜勤もあるが、複数の車両が時間通り動く瞬間が好きだった。母はその仕事を、親戚へ「事務みたいなもの」と説明する。
「私は戻りたがってない。今の会社で資格を取る」
「女の子がトラックの管理なんて、結婚したら続かないわよ」
母は、緋奈の皿から脂身を取り除いた。子どものころからの癖だ。緋奈はその手を止め、自分で肉を皿へ戻した。
「仕事も食べるものも、私の前から勝手に選ばないで」
母の顔がこわばった。
「何もかも親切でしてるのに」
「親切は、断ったら止まるものだよ」
緋奈は新しい履歴書を鞄から出した。写真は作業服姿ではないが、自分で選んだ白いシャツを着ている。資格試験の申請用だ。
「信用金庫には、お母さんから『娘の了承を得ていませんでした』って連絡して。私の連絡先は渡さないで」
「恥をかくのは私なのよ」
「私の進路を使って作った約束なら、私が代わりに守らない」
食後、母は古い写真を捨てようとした。緋奈は止めず、ただ一枚だけ受け取った。
「どうするの」
「裏の字を消してから処分する」
消しゴムでは油性ペンは消えなかった。緋奈は写真を細かく破り、信用金庫の名前と自分の顔を別々のごみ袋へ入れた。
翌朝、母から〈先方へ断りました〉とだけ届いた。
謝罪はなかった。それでも、面談の予定は消えた。緋奈は資格試験の申請書を、自分の写真で封じた。