刈らなかった三ミリ
理髪店の閉店後、担当者はその日切った髪から一本を選び、後悔販売機へ入れる。切りすぎた場合は失った長さを、切らなかった場合は残した長さを、ミリ単位でレシートに書く。客の容姿を理由にすると受理されない。技術か会話のどちらを後悔するかも選ばなければならない。
渡会は見習い最後の日、二十代の男の髪を切った。男は椅子に座るなり、右のこめかみを指した。
「ここ、三ミリで」
そこには細長い手術痕があった。渡会は鏡越しに一度見て、六ミリのアタッチメントを選んだ。三ミリでは傷が目立ちすぎると思った。男は途中で何も言わず、会計のときも「大丈夫です」と答えた。
店長は仕上がりを見て、「注文は三ミリだぞ」とだけ言った。
閉店後、渡会は床から男の髪を一本拾い、レシートに〈三ミリ短くしなかった〉と書いた。項目は「技術」を選ぶ。機械は〈設定値との差は技術ではありません〉と返した。
「じゃあ会話かよ」と独り言を言うと、店長がタオルを畳みながら「機械に聞くな」と言った。
渡会は「会話」に印をつけ、〈理由を聞かなかった〉と書く。今度は〈長さを入力してください〉。三ミリと記入して入れると、〈客の希望を後悔していません〉と戻った。
予約表を見る。男は来月も同じ時刻を取っていた。備考欄には本人の字で「手術から一年。見えるように」とある。傷を隠すためではなく、見せるための三ミリだった。
渡会は最後のレシートに書いた。
〈傷を見ない方が親切だと決め、三ミリ残した〉
「会話」に丸をつけ、六ミリの毛を一本添える。機械は毛の先から三ミリだけ切り取り、残りを返した。商品口から、透明な小瓶が出る。中には短い毛が一本、まっすぐ立っていた。
翌月、男が来るまで瓶は鏡の前に置かれた。瓶の底には赤白青の理髪店の縞模様をした小さな定規が沈み、三ミリの線だけが、治りかけの傷のように盛り上がっていた。
一か月後、男は同じ椅子に座り、「今度は三ミリで」と言った。渡会は理由を聞かず、鏡越しに一度だけ頷いた。刈り終えると、小瓶の定規から三ミリの盛り上がりが剥がれ、男の足元へ赤白青の短い髪として一本だけ落ちた。