前髪、七ミリ
藤代鈴芽は、洗面台の前へ新聞紙を敷き、眉用の小さな鋏を置いた。
面接まで二時間。履歴書は印刷し、靴も磨いたのに、鏡を見るたび前髪だけが気になった。午後から転職先の面接がある。前髪は目にかかり、切りに行く予約は取れなかった。いつも切ってくれた幼なじみは美容師で、入院中も「自分で切るなら先に聞いて」と言っていた。亡くなる一週間前、病室へ鋏を持ち込めなかった幼なじみは、代わりに鈴芽のための音声を一本残している。
『濡らさない。乾いたまま。仕上がりより七ミリ長く切る』
櫛は、店を閉める日に幼なじみからもらった細い黒のものだ。鈴芽は前髪を櫛で下ろし、定規を当てた。七ミリが思ったより長い。音声の幼なじみが『そこで短いって顔してるでしょ』と言う。録ったときには見えていないのに、鈴芽は鏡越しに睨んだ。
『一気に横へ切らない。鋏を縦。少しずつ』
最初の一束へ鋏を入れる。細い髪が新聞紙に落ちた。左右をそろえようとすると、今度は中央が長く見える。中央を切ると右が気になる。これを繰り返して失敗した過去を、幼なじみはよく知っている。
『三回切ったら、いったん離れて見る。顔を近づけると永遠に直したくなる』
鈴芽は鋏を置き、洗面所の入口まで下がった。前髪は少し不揃いだが、目は見える。音声はまだ続く。
『左右同じじゃなくていい。眉も目も、もともと同じじゃないから』
病室で息を整える短い間が入る。窓の外を救急車が通る音もする。鈴芽は早送りに触れず、その間を待った。
『あと、面接なら、切った髪をちゃんと払って。黒い服につくと目立つ』
鈴芽は肩を見た。白いシャツに細い髪が何本も張りついている。濡らした手で集め、新聞紙の上へ落とした。
最後に一束だけ、鼻の中央へ長く残っていた。鈴芽は鋏を縦に持ち、音声どおり七ミリを残して先を切る。髪が一片、鏡の縁をかすめて落ちた。鏡から一歩離れる。目がまっすぐ見えた。鈴芽は鋏を閉じ、落ちた髪をこぼさないよう新聞紙の四隅を中央へ折った。