午後四時の受注票

 楠瀬周の受注票は、午後四時になると荒巻田弘の机へ移った。

 農協で麦の契約を担当する周は、畑を歩き、霜の日も発芽率も生産者ごとに記録していた。荒巻田はその報告書を会議へ持っていき、表紙だけ自分の名へ替えた。周が戻すよう頼むと、受注票の束を床へ落とし、「畑を歩けるだけで担当者になった気になるな」と笑った。

 周は紙についた土を払い、生産者へ渡す控えだけは順番どおりに綴じ直した。

「君は泥の匂いがする。大きな商談では茶を出していればいい」

 遅霜の朝、周は暗いうちから畑を回り、葉の温度を測った。農家ごとに電話のつながる時間も違う。数字だけでは残らない癖まで覚え、受注票の裏へ小さく書いていた。

 地元の醸造会社が、新しい麦酒用に三百トンの契約を検討した。荒巻田は自分が育成計画を作ったと説明し、周を資料係として壁際に立たせた。

 買い手が、二月の遅霜をどう乗り切ったか尋ねる。

「通常どおりです。農家には私の指示を徹底させました」

 実際には、周が播種を二日ずらし、畑ごとに被覆の厚さを変えた。荒巻田はその時期、畑へ一度も来ていない。

「品種ごとの発芽率は?」

「細かい数字は部下が」

 周が答えようとすると、荒巻田は資料を床へ落とした。

「拾って、必要なページだけ渡せ」

 買い手の担当者は、床に散った紙から一枚を取った。右上に、生産履歴の二次元コードがある。契約候補の麦は、種子から集荷まで、作業した担当者が端末で署名する仕組みだった。

 画面を開くと、百二十七の畑すべてに《技術担当・楠瀬周》。霜害対策の写真も、生産者からの相談記録も、周の時刻付きで残っている。荒巻田の閲覧は、商談資料を作る前日の一回だけだった。

「組織の仕事です。担当名に意味はない」

 買い手は持参した契約書の条件欄を開いた。品質を維持するため、試験栽培を指導した技術者が量産も監督すること、とある。

 担当者は署名欄へペンを置いた。

「楠瀬さんが責任者でない場合、この契約には署名しません」