午後四時の置き手紙

料理スタジオの傘立てで、徳永郁の縞模様の折り畳み傘が、薄茶色の傘に取り替わっていた。

午後四時の試食会が終わった直後だ。傘立てへ触れたのは、講師の目黒章子、受講生の美馬里穂、管理人の喜屋武旭。目黒は鍋を洗い、喜屋武は入口を施錠した。里穂は誰より先に帰っている。

薄茶色の傘は、妙に短いカバーへ押し込まれていた。カバーからは味噌の匂いがし、内側には二人で作った料理会のレシピカード。試食を終えた室内には、洗い物の水音だけが残っていた。郁は半年ぶんの沈黙まで、その音に混ざっている気がした。

郁が傘を抜くと、薄茶色なのは布だけで、カバーは自分のものだった。

取り替えられたのは、傘ではなくカバーだ。

里穂は自分の薄茶色の傘へ郁の縞模様のカバーをかぶせ、郁の傘には自分のカバーを付けて持ち帰った。カバーの底には、折り畳んだ手紙が入っている。

二人は半年前、小さな出張料理の仕事を始める約束をした。学生時代から、郁が味を決め、里穂が盛りつけを整えるのが二人の役割だった。ところが最初の依頼の前日、里穂は「向いていない」とだけ送って連絡を絶った。郁は雨の中を一人で現場へ行き、失敗も片づけも一人で引き受けた。

手紙には、本当の理由が書かれていた。里穂は味覚障害になり、味を確かめられなくなった。心配されるより、嫌われて終わるほうが簡単だと思ったという。

今日の授業で郁が作った味噌汁を一口飲み、初めて塩気が戻った。懐かしい味だと言いかけて、里穂は椀を置いた。それでも直接謝る勇気がなく、カバーを交換して手紙を置いた。

郁が電話をかけると、里穂は駅のホームにいた。

「傘、間違ってるよ」

〈わざとです〉

「知ってる。だから、返すときに話そう」

しばらく沈黙があり、ホームの放送と雨の音だけが電話の向こうから聞こえた。

〈もう一度、味見を頼んでもいい?〉

「一人分じゃなく、二人分なら」

目黒が温め直した味噌汁を、郁の前へ置いた。郁は白い湯気を丁寧に吹き、味噌汁を一口飲む。

「少し薄い。明日、二人で直そう」