友人の負債点
小田切伊織は毎朝、央成へ同じスタンプを送る。眠そうな猫が片手を上げるだけの絵だ。十年間、一日も途切れなかった。
その朝は、既読が付く前に別の通知が来た。
《朝比奈央成さんの死亡を確認しました》
《最終信用負債:八三六点》
《最も信頼された連絡先へ継承します》
伊織の信用点数は九一七だった。
画面が一度暗くなり、八一へ変わる。
死者が抱えた減点は、直近一年で最も多く連絡を交わした一人へ移る。負債を誰にも渡せないまま消えることは、社会全体の信用を損なうからだ。
「待て。保証人になった覚えはない」
異議申立てを押すと、十年分のスタンプ履歴が証拠として表示された。
《継続的関係を確認》
《故人が最も信用した人物と判定》
央成は半年前、職場を告発して解雇された。再就職できず、家賃を滞納し、行政面談を欠席した。伊織には「大丈夫」としか言わなかった。
最後の一週間も、猫のスタンプは毎朝返ってきていた。
伊織の社員証から、出勤資格更新の警告が届く。住宅契約、携帯回線、定期券からも再判定通知が並ぶ。どれも八一という数字を見ている。
央成の遺書はなかった。
代わりに、死亡後送信の音声が一件残されていた。
『伊織、ごめん。毎朝返してくれたの、お前だけだった』
長い沈黙。
『だから、たぶん、お前に行く』
央成は規則を知っていた。
伊織は怒鳴りたかった。どうして連絡をやめなかった。どうして自分を最も信頼された相手にした。最後の一か月だけでも無視していれば、八三六点は別の誰かへ行ったかもしれない。
だが、別の誰かとは誰だ。
家族は央成と絶縁していた。元同僚は連絡先を消していた。毎朝の猫しか、彼を社会につないでいなかった。
端末が、今日のスタンプを未送信として表示する。
送信先は死亡済み。それでも伊織は猫を送った。
《故人への通信は信用回復に寄与しません》
既読は付かない。
午前九時、会社の入館申請が八一点を理由に拒否された。伊織はガラス扉の前で、央成の最後の音声をもう一度聞いた。
『お前なら、受け取ってくれると思った』
それが友情への信頼なのか、負債を押しつける計算なのか、点数は区別しない。
画面には八一。
十年分の「おはよう」が、たった一通の通知で借金へ変わっていた。