受領印のない百社

サイバーセキュリティ企業「シールドリッジ」への投資審査で、油井坂紗英は売掛金確認を手伝う派遣経理だった。会社は有料法人顧客百社を獲得し、年間売上五億円を達成したという。

会議机には百枚の請求書が積まれていた。どれも五百万円、支払済み。顧客名は有名企業から地方商社まで幅広い。

紗英は銀行入金を照合した。百件の振込依頼人名は違うが、振込元口座はすべて同じ。販売代理店「リッジパートナーズ」の一口座から、依頼人名だけを変更して送金していた。

創業者は、代理店が顧客代金を取りまとめたと説明した。

「では顧客の受領印はどこですか」

百枚の導入確認書には、担当者署名の画像はあるが、法人印が一つもない。電話で確認できた十社は、無料診断を受けただけで契約していないと答えた。残る九十社の連絡先は、代理店の同じ電話番号へ転送された。

さらに五億円は月末に入金され、翌朝、四億九千五百万円が「販売奨励金」として代理店へ戻っている。会社に残ったのは五百万円。請求書一枚分だけだった。

最高財務責任者は、代理店への前払費用であり売上とは別だと主張した。

紗英は代理店の登記を出した。代表者は創業者本人、設立日は入金の五日前。百社を装うためだけに作られた会社だった。

派遣元からは、契約終了を覚悟しろと連絡が来た。紗英は百枚目の請求書をめくった。裏面は白く、検収記録も問い合わせ履歴もない。

「百社の売上ではありません。一社のお金を百回着替えさせただけです」

百枚の導入確認書の受領印欄には、薄い灰色の四角が共通して残っていた。画像を切り抜いた際の背景である。署名者名を検索すると、十七人は退職済み、六人は同姓同名の別会社社員だった。顧客名だけでなく、担当者まで借り物だった。

代理店口座の通帳コピーには、百回の送金を一時間で処理した記録が連続していた。顧客の支払日が、秒まで並ぶことはない。

投資家は五億円の売上欄へ封印票を貼った。受領印のない百社が、八十億円の投資決裁を受け取ることはなかった。