夕暮れの非常ベル
非常ベルが鳴ったとき、私は校門を出るところだった。
鞄には教科書より、着替えと財布が入っていた。
そのまま駅へ行き、親戚の家へ逃げるつもりだった。切符代まで、昼休みに何度も数えた。学校も家も、もう戻らないつもりでいた。
ベルが校舎中へ響き、生徒たちが外へ走り出す。
先生に「校庭へ」と叫ばれ、私は流れに逆らえず戻った。
夕暮れの校庭へ、部活中の生徒も、補習中の生徒も集まる。街はオレンジ色で、避難する人々の影が長く伸びていた。
クラスごとの点呼が始まる。
担任が私の名前を呼んだ。
一秒、返事が遅れた。
「います」
声を出した瞬間、胸が痛んだ。
今日は欠席扱いになるはずだった。誰にも気づかれず、今日の名簿からも消えるつもりだった。
でも、名簿には私の場所が残っていた。
誤報だった。
理科室の煙感知器が、実験の蒸気に反応したらしい。
生徒たちは文句を言いながら校舎へ戻る。
私は動けなかった。
担任が近づいてきた。
「大きな鞄だな」
「部活の荷物です」
「帰宅部だろ」
嘘がすぐに終わった。
担任は中身を聞かなかった。
「教室へ戻るか」
「帰ります」
「どっちへ」
答えられなかった。
夕日が沈みかけ、私の影は校舎へ向かって伸びていた。体は校門を向いているのに、影だけが戻ろうとしているようだった。
「今日は、教室に鞄を置いて帰れ」
担任が言った。
「盗まれます」
「私が預かる」
「明日、来なかったら?」
「来るまで持ってる」
そんな勝手な約束に腹が立った。
でも、鞄を渡した。
軽くなった手で教室へ戻る。
机には、昼休みに友達が置いた菓子の袋と、明日の小テストの範囲を書いた付箋があった。
終わりにするつもりだった一日に、明日の予定が残っていた。
その夜、家には帰った。
翌朝、学校へ行くか一時間迷った。
非常ベルは鳴らなかった。
それでも私は、担任が呼ぶ前に教室へ入った。
鞄は自分の席に置かれていた。
避難訓練ではなかった。
けれど私は、あの夕暮れに一度、消える予定から避難した。