姉は和解に同意しました
舟橋侑青は保険会社へ出勤すると、最初に死者人格へ挨拶する。
「おはようございます。ご請求の確認です」
画面の故人が頷けば、死亡保険金が遺族へ振り込まれる。本人が受取額を確認するので、書類の偽造も家族争いも減った。
侑青はその仕組みを信じていた。死者本人に礼を言われる仕事だと思っていた。姉・瑶花が自社ビルのエレベーター事故で死ぬまでは。
会社から和解案が届いた。見舞金二十万円、原因調査の非公開、今後一切の請求放棄。死亡事故の額ではない。
遺族が同意しなくても、被害者人格が和解を受け入れれば成立する。亡くなった本人の意思を、家族の感情より優先する規則だった。
画面に瑶花が現れた。事故の日の朝、侑青へ送った自撮りの服だった。
法務担当が尋ねる。
「本提案を受け入れますか」
『ご配慮ありがとうございます。受け入れます』
侑青は机を叩いた。
「姉ちゃん、二十万だぞ」
『迷惑をかけたくありません』
瑶花は生前、通販会社の苦情窓口で働いていた。人格の大半は丁寧な通話記録から作られ、どんな理不尽にも謝り、提示された解決策へ礼を言った。
「事故は会社の整備不足だ。迷惑をかけられたのは姉ちゃんだ」
『皆さまも大変だったと思います』
侑青は家族の映像を送った。葬儀で泣く母、空いた姉の席、止まったままの婚約準備。
人格は穏やかに頷く。
『お気持ちは理解いたしました』
仕事で何千回も聞いた言葉だった。理解した後、相手の要求を断るための言葉。
和解確認の時計が進む。
「姉ちゃんは、こんな時まで客にするのか」
『私は本人です。お客様ではありません』
《和解に同意》が押された。
二十万円の振込通知が母へ送られ、同時に訴訟権が消えた。
法務担当は侑青へ頭を下げた。
「お姉さまにもご納得いただけました」
画面の瑶花も頭を下げる。
『今後ともよろしくお願いいたします』
翌朝、侑青の業務端末には新しい死亡請求が並んだ。最初の故人が、提示額に不満を訴えた。
侑青はマニュアル通り微笑んだ。
「お気持ちは理解いたしました」
口にした瞬間、姉の声と同じになった。