屋上の方角
夕張が転校する前日、友達は屋上へ方位磁針を持ってきた。
「向こうの町はどっち?」
地図で調べたわけではない。校舎の影、午後の太陽、磁針の赤い針。それだけで探そうとしている。
「北東」
「ざっくりだな」
「県がそっち」
「県、広いよ」
「じゃあ駅から何分」
「電車で三時間」
「歩いて?」
「知らない」
二人はフェンスの隙間から町を見た。
商店街の看板、給水塔、低い山。どれも転校先にはない。夕張は何度も見た景色なのに、方角を考えたことはなかった。
友達は床へチョークで矢印を描いた。
『夕張』
矢印の先は、給水塔と山の間を指している。
「絶対違う」
「気持ちの方角」
「理科の先生に怒られる」
「屋上まで来ない」
夕張もチョークを受け取り、反対向きの矢印を描いた。
『こっち』
「何それ」
「向こうの学校から見た、この町」
「真反対?」
「たぶん」
「じゃあ、矢印つながるな」
二本の矢印は背中合わせだった。
転校先からこの屋上は見えない。山も給水塔も、地球の丸みに隠れるほど遠くなる。けれど方角だけなら残る。
友達がポケットから小さな定規を出し、チョークの線の角度を測った。
「三十八度」
「何基準」
「フェンス」
「意味ない」
「じゃあ覚えやすいように四十度」
「勝手に変えるな」
夕張は笑った。
その夜、雨が降った。
翌朝、最後の登校で屋上へ行くと、矢印はほとんど消えていた。『夕張』の最後の一字だけが薄く残り、『こっち』は白い染みになっている。
友達は何も言わず、方位磁針を夕張へ渡した。
「いらない」
「向こうで測って」
「何を」
「こっち」
転校後、新しい校舎の窓から夕張は磁針を出した。
赤い針が震え、北を指す。そこから四十度。理屈では合わない。山も建物も邪魔をする。
それでも、その方向をしばらく見た。
新しいクラスメイトが隣へ来た。
「何があるの?」
「屋上」
「ここ、屋上じゃないよ」
「遠くの」
説明すると、相手は首をかしげた。
夕張は方位磁針をしまった。
正しい方角ではなくてもいい。
あの日、二本の矢印が互いを指していたことだけで、どちらの町も地図の外へ消えずに済んだ。