恐れ入らない断り方
浜名茉莉が古書喫茶「定規」で見つけたのは、昭和の女性社員向けビジネスマナー本だった。
「上司へのお願い」「来客時の笑顔」「角を立てない辞退」。頁の女性たちは皆、同じ角度で頭を下げている。ところが前の持ち主は、断り文句の章へ赤ペンを入れていた。
「恐れ入りますが」には横線。
「せっかくのお話ですが」にも横線。
「私の力不足で」には、強い筆圧で三本。
余白には、短く書き直された文がある。
「できません」
「参加しません」
「担当外です」
茉莉の画面には、会社の周年イベントを手伝うか尋ねる連絡が来ていた。開催は日曜で、勤務扱いにはならない。「若手女性の感性が必要」「自由参加だけれど、できれば全員」と書かれている。昨年も茉莉は受付をし、翌週の仕事量は減らなかった。
今年は断るつもりだったのに、下書きは六行になった。家族の予定があること、最近疲れていること、協力できず申し訳ないこと。本当は家族の予定などない。休みたいだけだった。理由が弱いと、休む権利まで弱くなる気がした。
閉店五分前、店主は本を包み始めた。最初に薄紙を二枚重ね、その上から包装紙を巻く。途中で厚みが出すぎたことに気づくと、結びかけた紐をほどき、薄紙を一枚抜いた。さらに飾り帯も外す。残った一枚の紙だけで角を揃え、短いテープを一か所貼った。
簡素だが、本は落ちなかった。謝るようなリボンも、理由を説明する飾りもない。
茉莉は下書きを全選択し、消した。
「日曜のイベントには参加しません。通常業務で必要な準備があれば、金曜までに共有してください」
送る直前、「申し訳ありません」を足しかける。マナー本の三本線を思い出し、そのまま送信した。
すぐに胸がざわついた。感じが悪いと思われるかもしれない。評価へ響く可能性も、まったくないとは言えない。
店主は会計台の上から、余った薄紙と飾り帯を片づけた。使わなかったものを、包みの隙間へ押し込むことはしなかった。
茉莉も、言わなかった謝罪を後から送り直さなかった。紙一枚の包みを両手で持つ。それで十分に本を守れていることを確かめ、閉店した店を出た。